代表長尾が語る経営の道標
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2014年版 経営の道標
ハイレゾ教育
自動運転、自動停止、自動制御。毎日のように、自動で動く○○○が報道されている。日経新聞の私の履歴書には、コマツの建機自動運転の話。前回もロボットの話で、pepperを紹介したので、続きネタで恐縮だが、pepperがR-1グランプリに出場すると言う。自動漫談だ。そういえばソフトバンクさんがpepperの喋りは吉本興業のお笑いのプロが考えていると言っていた。同じネタを覚えて毎度同じように喋るだけなら、ロボットでも良さそうなものだし、ロボットならセリフを間違ったり噛んだりすることもないから、笑える台本ができれば、それはそれで案外笑えるのかもしれない。
これまで人間がやっていた仕事は、確実にITやロボットに置き換えられていくだろう。だから前回の「経営の道標」でも、「自社にロボットがいる姿を想像してみる」べきだと書いた。今回はその続編。
何でも自動になり、ロボットが社内にいるような時代になって、「省人数経営」にシフトしたら、人はいらなくなるのかというと、そうではない。省いた後に残った人間は、よりクリエイティブで生身の人間にしかできない気配り心配りができなければならない。決められたことを決められた通りにこなす知識や技術ではなく、新たな価値を生み出し、発想し、実現していく創造性や、それを自ら推進する自発性や主体性が求められる。ITやロボットの活用を考えるのと同時に、生身の人間の教育を改めて考えなければならないというのが、今回言いたいことだ。
しかし、定型化、形式知化された知識や技術を教えるのは簡単だが、創造性や主体性を教えるというのは難しい。そもそも教えることができるのかというものでもある。教えられるものなら、それは文章や図形や算式になって形式知化されているはずだから、ロボットにも教え込むことができる。ちなみにpepperは人間の感情を理解するそうだ。だが、それは人間の感情をパターン化し、それぞれの断片情報を判別させて事前に定型化、標準化された感情のカテゴリーに当てはめるだけだろう。
ロボットにはできない微妙な感覚、ニュアンス、温度感を感じ、また伝えられる能力が人間には求められる。それを教えるにはどうすればいいのか。従来の知識教育、技術教育ではダメであることは間違いない。
ハイレゾ音源にそのヒントがあった。ハイレゾとは、ハイレゾリューション(高解像度)の略。CDなどのデジタル媒体に音源を入れる際に、従来はデータを圧縮するために、人間に聞こえない周波数帯の音をカットしていたのを、カットせずに元の情報量に近い高解像度で伝えるものだ。(だからCDには入らずネットからダウンロードする)
人間の耳には聞こえないのだから、カットしても良さそうなものだし、カットしなかったからと言って、その音が人間に聞こえるわけではない。だが、その音があることによって、空気の振動は生じていて、聞こえる音にも微妙に影響があると言う。
これを教育に置き換えると、生徒に分かりやすいように内容をセレクトし、要点を教えた場合がCDだ。全部言っても分からないだろうし、何しろ膨大な情報量だから伝えても記憶できないだろうからと、内容を一部カットしてポイントを伝える。従来の教育はどうしてもこうなる。時間的な制約もあるし、要点は伝わっているのだから、この方が教わる方も効率が良くていいとなる。だが、これでは、ITやロボットにも教える(入力する)ことができてしまう。
それに対してハイレゾは、徒弟制みたいなものになるだろう。親方(師匠)と弟子。弟子は住み込みで親方(師匠)と起居を共にする。内容のカットはなし。ポイントだけを要領よく教えてくれたりはしないが、すべてを教えてくれる。いや、教えるのではなく、弟子が見て覚える(盗む)。これによってデジタルでは伝わらない臨場感や空気感まで伝わる。
但し、弟子は親方(師匠)のすべてを受け入れなければならない。違うのではないか、おかしなことを言っているのではないかと、自分の枠組み、観点、過去の経験に照らして取捨選択してはならない。自分の枠で親方(師匠)の言うことを聞いたり行動を評価していては、自分の枠はそのままだ。それでは成長がない。自分の枠を壊し、広げるために、親方(師匠)のすべてを受け入れるのだ。
芸事では必ず言われる「守破離」の『守』である。まず師匠の型をすべて受け入れ、その通りにできるようになってこそ、次の『破』や『離』がある。
だが、この徒弟制、守破離が、学校教育や個人主義の影響で、今の企業では、なかなか受け入れられない。知識や技術を教えるだけなら学校教育の延長でもいいが、聞こえない音を聴かせる、言葉にならない空気感を伝えるには、学校教育では無理だ。ハイレゾにしなければならない。
では、どうするか。そもそも雇用のあり方を変えるべきかもしれないが、そこは前提として置いておくと、通常の社員教育とは別に、自主参加型の道場(修行の場)のような機会を設け、ある程度以上の時間をかけて、師匠と弟子が時間を共有するという手間ひまをかけるしかないのではないだろうか。弟子入り希望者が殺到し、師匠が断っても断っても、何とか弟子入りしたいと頼み込むような社員がいるかどうか。そして弟子入りし、入門したら、親方(師匠)の言うことをすべて受け入れ、守破離の守を実践する。
住み込みで、丸坊主になり、携帯電話も恋愛も禁止という厳しい環境を用意する秋山木工(「一流を育てる」現代書林刊)を参考にしてみると良い。自分の考えや知識を捨てて、親方(師匠)の考えを受け入れる覚悟を持った者にのみ、聞こえないはずの音が聴こえるようになる。
ITやロボットが普及し、人間の仕事を代替する時代だからこそ、生身の人間は、より解像度を上げたハイレゾ教育を受けなければならない。人事教育担当や経営者が考えるべきことは、自社なりのハイレゾ教育の仕組みを作ることだ。
ロボットに仕事を奪われて路頭に迷うことになる前に、そうした現実を突き付けてあげ、ハイレゾ教育を受けられる機会を与えてあげるのが既存の社員への優しさであると思う。ロボットが職場に現れる日は近い。
2014年11月
自社にロボットがいる姿を想像してみる
ソフトバンクさんが9月20日に開催した、「pepper tech festival 2014」に弊社のコンサルタントやシステム開発者を参加させた。そう、あのロボットだ。「SFじゃない」というCMを見たことのある方も多いだろう。二足歩行ではないけれども、そこにはリアルに人型のロボットがいて、もうすぐ世の中に出てくる。すでに、ソフトバンクショップにはいたりするが、2015年2月から一般販売が開始される。pepper向けのアプリ開発を行う人や企業に、先行販売もあるそうだ。当然、弊社も申し込んだが、抽選なのでどうなるかは分からない。イベント当日だけで500件ほどの申し込みがあったと言うから、競争倍率は高い。
この経営の道標でも、2014年5月に「省人数経営」についてご紹介した。人口減少が加速する我が国では、人を省いてより少ない人数で生産性を上げる「省人数経営」へシフトするしかないのではないかと、提言した。そこではIT活用は当然として、ロボットの活用も必要となるだろう。
人間の仕事が、ITやロボットに奪われることになるのではないか、と危惧する声もあるが、どうしても生身の人間でなければできない仕事も必ずあるから、ITやロボットの方が得意な仕事はどんどん任せていけば良い。人間は人間にしかできない仕事に専念する。すでに製造現場ではそうなっている。人が来ないからだ。日本人が贅沢になって生産現場で働こうとしない。1980年代のバブル気分に浮かれている間に、一気にロボットの普及が進んだことはご存じだろう。同じことが、ホワイトカラーの現場でも起こる。もちろん建設や介護などのサービス業務でも起こるだろう。人がやりたがらないからだ。
だが、もうそんな議論をしている余裕はない。すでにロボットは現実になっているのだから。企業とすれば、そこにローコストで、24時間365日、単純作業の繰り返しでも不平不満も言わずに働いてくれる「存在」があれば、その「存在」が、生身の人間だろうと、ITだろうと、ロボットだろうと、活用するに決まっているし、活用しなければその企業の「存在」自体が危うくなる。
5月の時点では、「今後ロボットも出てくるでしょう」という未来の話をしていたが、そこからほんの数ヶ月で、ロボットという未来はすでに現在になった。あなたの会社にロボットがいる情景を想像してみよう。オフィスにロボットがいたら、何をしてくれると助かるだろうか。
pepperを、ソフトバンクさんが世に出してくれたおかげで、パソコンや携帯電話、スマホやタブレットなどの延長線上にロボットがあることを明示してくれたと思う。pepper用にアプリを開発して、それをpepperに載せればそれに応じて動くようになる。パソコンにソフトを入れたら、その通りに動くように。ロボットはデジタルデバイスの一形態に過ぎないとも言えるわけだ。スマホやタブレットにアプリをダウンロードするのと同じ。ロボットそのものを作らなくても、自分オリジナルのロボットに仕立てることができるようになる。
パソコンが世に出た頃のことを思い出してみるといいだろう。その頃はマイコンと言ったかな。まずはマニア向けの開発キットが売られた。マニアがそれを組み立てて、簡単なプログラミングが出来て、ゲームを作ったりして楽しんだ。pepperは、今まさにこの状態。開発者向けに開発キットが配られて、アプリ開発ができるようになっている。pepper自体は、まだそんな高度なことができるわけではない。だが、そうしたマニア向けのキットが売れてくると、量産効果が見込めるようになるから、次には、用途別に作り込んだ専用マシンが登場してくるだろう。ワープロ専用機が出回っていた頃を思い出してみよう。当時パソコンもあったが、まだマニア向けのものだった。「なんでもできますよ」と言われても、素人には何をしていいのかも分からなかったし、まだまだ敷居が高かった。そこにワープロ専用機が出た。ワープロにしか使えなかったが、素人にも分かりやすく、文書を清書するワープロには最適化されていて使いやすいものだった。
恐らく、ロボットも、pepperの次の段階として、用途を絞った専用ロボが普及するだろう。さて、どんなロボットがいてくれたら、あなたの会社の生産性が高まるだろうか。専用機が普及することで、さらに量産効果が高まってコストダウンできると同時に、どこかでブレークスルーが起こる。パソコンの場合は、GUIだったのだろうと思う。グラフィカル・ユーザー・インターフェースで、マウス操作。これなら素人でも使いこなせるとなって、パソコンの時代が来た。Macが出てからWindows95へとつながる辺り。ちょうどインターネットの一般利用が始まったのもその頃だ。
ロボットの場合は、AI(人工知能)で、人と会話しながら、業務を教えたら、次からその通りにできるようになる、といったブレークスルーが起これば、何でもできる、まさに人に近いロボットが登場してくることになるだろう。鉄腕アトムやドラえもんのようなロボットはここまで待たないといけない。
ロボットというと、多くの人は鉄腕アトムまで想像してしまうが、ワープロ(単機能)ロボットをまずはイメージしてみよう。単機能特化型のロボットなら数年後には充分実用化するはずだ。
と、ここで数年後には・・・なんて言っていたら、また数ヶ月後には一気に実現したりするかもしれないから、企業経営者は、ロボットのいる会社をイメージできていなければならない。すでにロボットは現実のものになっているのだから。
あとは、そのロボットを活用する側に立つか、ロボットを提供する側に回るか。過去にも、クルマでビジネスをするか、クルマを作るか、ITを活用してビジネスをするか、ITを提供する側に回るか、といったチャンスはあったのに、自分が見過ごしておいて、後になってから「俺もあの時にやっておけば良かった」と後悔している経営者に何人にも会ったことがある。後悔先に立たず。
時代の変化は面白い。
2014年9月
韓非子(法家)の智恵で仕組みを作れ
性悪説で知られる韓非子は、読んでいてあまり楽しい気分になる古典ではない。やはり気分がいいのは、論語に代表される儒家のような、性善説に立っていて、心を洗ってくれ、背骨をピーンと伸ばしてくれる教えである。
皆が君子のように立派になり、正しい行いをする世の中になればいいと思う。だが、実際には、顧客情報を抜き取って名簿業者に売りつけるような人間や、小学生を誘拐して自宅に監禁してしまうような人間や、同級生を殺して切断してしまうような高校生まで存在する。そうした人間にも、徳によって導き、教化して、更生させることができれば、それが理想だろうし、面倒なルールや法律も不要となり、刑罰もいらない。
韓非子(法家)は、そんな人徳のある人は、いてもごくわずかであり、大多数の人は悪ではないにせよ、普通の人であり、公益よりも私欲、他者よりも自己を大切にする存在だと考えた。自分の利益を優先し、勝手なことをする普通の人間が社会(組織)を作っていく時には、法を定め、それを犯した者には罰も与えなければならないとした。
面白いのは、韓非子も、義や信や仁に生きる君子、大人、志士がいることを認めていることだ。確かにそういう人もいる。だが、そんなに立派な人は滅多にいない。滅多にいない人をあてにしていてはダメではないか、実際の問題を解決できないではないかという問題提起が、韓非子によってなされている。
これは、企業経営でも同じようなことが言えると思う。全員が悪いわけではないが、立派な人はごくわずかだ。多くは普通の人である。規則や罰則でしばりつけるのはどうかと思うが、野放しで好きにすればいいわけではない。明らかに問題のある、悪人には辞めてもらうしかないが、普通の人でもそれなりに活躍してもらい、いい仕事をしてもらうようにしたい。立派な人でなければ、会社が回らないということではいけない。
韓非子に、わかりやすい喩えがあったので紹介しよう。
「夫れ良馬固車(りょうばこしゃ)も、臧獲(ぞうかく)をして之を御(ぎょ)せしむれば、則ち人の笑いと為り、王良(おうりょう)之を御すれば、而(すなわ)ち日に千里を取る。車馬の異なるに非ざるなり。或いは千里に至り、或いは人の笑いと為るは、則ち巧拙(こうせつ)の相い去ること遠ければなり。」
良馬が牽引する丈夫な車があっても、心得のない奴隷を御者にしたのでは、無様な走り方をして人の笑いものになってしまうが、天下に名高い王良が御者となれば一日に千里もの距離を走るであろう。馬や車が変わったわけでもないのに、一方は千里を走り、一方は物笑いの種になるというのは、それぞれの御者の巧拙に大きな差があるからである、と言うのだ。
そこで、どうするか、韓非子には具体的な対策がある。
「夫れ良馬固車、五十里にして一置(いっち)し、中手(ちゅうしゅ)をして之を御せしむれば、速きを追い遠きを致すこと、以て及ぶべきなり。而(しこう)して千里も日に致すべきなり。何ぞ必ずしも古(いにしえ)の王良を待たんや。」
良馬が牽引する丈夫な車を五十里ごとに一台ずつ用意しておき、並の腕前の中程度の御者に乗り継いで走らせれば、より速く、より遠くへ王良並に走ることができるようになり、一日に千里走ることもできるのだ。そうであれば、王良のような古い伝説の人を必ずしも待つ必要はないではないか、と言うのだ。
普通の人間が、普通に頑張れば、キッチリと仕事ができる。そういう仕組みや仕掛けを作れば良いのだ。これならできる。
ビックリするような優秀な人が急に現れることはない。自社の社員が全員優秀で聖人君子のような人ばかりになるわけがない。そんな人を待ち焦がれていてはダメなのだ。韓非子(法家)の智恵で仕組みを作れ。
2014年7月
人口減少時代には省人数経営へ
我が国の人口減少はじわじわとだが、確実に進行している。団塊の世代が65歳を越えて行き、現役を引退しつつある。少子化はそもそも親世代(出産適齢期)が減っているから、当面留まることはないだろう。新卒採用は、大手がちょっと採用増に動いただけで、一気に売り手市場になった。当たり前だが、卒業する学生数が減っている。大学進学率が高くなり、製造業の海外移転やロボットシフトで高卒の求人が減少してきたから、あまり表面化しなかっただけで、若者の数は確実に減っている。若者が減っているから、飲食や小売など学生アルバイトなどに依存していた業種では人手不足が深刻だ。時給を上げても人が来ないという店も多いし、それを補って今いる社員が長時間労働してしまうと「ブラック企業」だと叩かれる。ワタミやすき家の店舗閉鎖などは、その典型例だろう。
こうなったら、ある程度は給与水準を上げざるを得ないだろうが、それにも限度がある。ブラックだ、非正規への差別だと批判するのはいいが、結局コスト増は、顧客が支払う価格に転嫁される。「ブラック職場を無くすために、高いものを買いましょう」というキャンペーンでもやってくれるならいいが、そういうわけにも行くまい。移民を受け入れるべきだと言う人もいるが、短期間に大量の受け入れは難しいだろうし、低賃金労働力を求めた移民政策では、喜んで日本に来る人も限られるだろう。低賃金の単純労働者を大量に受け入れては、日本社会への融和は図れない。
もはや、我が国では、人を省いてより少ない人数で生産性を上げる「省人数経営」へシフトするしかないのではないか。
人口が増える中で、多くの人が食に飢え、職にも飢えていた時代には、雇用創出や雇用の安定が企業の社会的責任だった。戦前、戦中を乗り越えたか、戦後すぐに創業した企業の多くが、雇用の確保や社員の幸福増進を経営理念に掲げたのは、食うに食えない時代をどう乗り切るかという切実な思いがあったように感じるし、立派なことだと思う。
だが、今は、人口が減り、気に入らない仕事はしなくても生活保護もあって最低限の生活はできる。個別企業が雇用の維持、拡大に努めるのは大いに結構なことだが、不要な人材まで抱え込む必要はないし、充分に能力を発揮できない人であれば、他に人がいなくて困っている企業があるのだから、放出してあげるのも一つのあり方だろう。
これからの企業には、より少ない人員で高い生産性を実現することが求められ、特に、人口減少先進国の日本は、世界の先頭に立って「省人数経営」の範を示すべきではないのか。(ついでに「省資源経営」なら尚いい。)
多くの社員を抱える企業が尊敬された時代から、より少ない人員で高い付加価値を生み出す企業が尊敬される時代へと、変わっていくのではないだろうか。単に社員数が少ないのでは「少人数経営」だが、5名で10名分の仕事、30名で100名分の仕事をしていくのが、「省人数経営」だ。
それをどうやって実現するか。
ITやロボットに置き換えられる仕事は省人化、機械化し、生身の人間にはより創造性を発揮し、質の高い仕事をしてもらう。人がいないのだから仕方ない。かつて1980年代の日本の製造業は、工場に人が集まらなくなった時、一気に産業用ロボットを増やした。それができない製造業は淘汰されるか、海外に移転した。
しかし、飲食や小売、サービス、建設などの仕事は海外移転できないから、ITやロボットの活用が進むだろう。ただのITでは味気ないから、接客を伴うようなところではロボットになるだろうと思う。
そして、そのITやロボットの進化が進めば、ヘタな人間を雇うよりよっぽどいいという製造現場で起こったことが同じように起こるだろう。何より安いし、文句も言わずに24時間働いてくれる。人がいないから、ITやロボットが人を代替し、やがて、単純作業しかできない人間を駆逐(不要と)していく。
それに備えて、人間は生身の人間にしかできない分野を磨いていくべきだろう。無から有を生み出すような仕事、智恵、創意、理念、哲学、コンセプト、熱意、こだわり、親しみ、肌触り、匙加減、塩梅、気配り、おもてなし。ロボットと競争し戦うのではなく、共存し、協調して、棲み分ける。その結果、日本が人口減少に打ち勝つロボット大国になったら、世界中から観光客がどんな国か見にくるだろう。
ITやロボットで人口減を補う際の問題は、内需が増えないことだから、世界中の国の中で差別化して、日本でなければ体験できないコトを生み出して、外需(観光客)を引き込まなければならない。軍需ロボットはアメリカに勝てないだろうが、介護医療ロボットや、接客ロボット、オフィスサービスロボットなどは日本がリードする市場であり、海外マーケット(外需・輸出)も広がるだろう。その際のショールームが日本である。
日本は、人口減少が進んで、ピークの半分になったけど、ロボットの活用で生産性を上げて、楽しく働き、裕福に暮らせる国になったと、22世紀に言えるようになれば素敵だ。私はそのための実験を2012年からまず電子秘書(Sales Force Assistant)で始めた。生身の秘書が欲しいのは山々だが、それが無理なら電子秘書で我慢するしかない。最近では、名刺の取り込みもできるようになった。あとは「ちょっとコーヒー淹れて」とか「これコピーとって」とお願いできるようになれば完璧。それには秘書ロボットを用意しようと思う。
「省人数経営」を始めよう。少なくとも、目指そう。構想してみよう。雇いたくても人がいないなら、雇いたい人が来てくれないなら、「省人数経営」をするしかないのだから。
2014年5月
負けない準備を
4月以降、消費税増税によってどういう影響が出るか、3%、5%の時と比べると楽観論が大勢を占めているように思うが、貴方の会社ではどういう影響がありそうだろうか?
安倍政権によるアベノミクス効果も怪しい雲行きになってきて、円安で輸入品のコストが上昇する中で、賃上げしなければならないような空気が作られている。消費税も上がるし、電気料金の値上げなどもあるから、多少は上げてあげたいと言うのが、多くの経営者の本音だろうし、人手不足で上げざるを得ないという企業も少なくないが、果たして固定費を上げて耐えられるのか、よく吟味すべきである。
欧米をはじめ、日本もそうだが、実体の裏付けもなくマネー供給を増やして景気が演出されている。マネーゲームで株価が上がっても、実体に変化はなく、景況感は良くなっても、株を持っていなければ実利もない。不動産の相場が上昇しても、実需がなければ売れないし、持たざる者にとっては余計な値上がりとなる。
実体のないバブルは必ず弾ける。泡が膨らめば膨らむほど、弾けた時のショックも大きい。もし今、リーマン並のショックが起こったとしても、やっていけるだけの備えをしておくべきである。私は経済の専門家でもないし、そもそも経済の専門家でも確実な予測はできないのだろうが、私にはどうしても次のショックが、そう遠くないような気がする。バブルの膨張と崩壊のサイクルが短くなっていると言うべきか。
悪い予感は当たらなければいいのだが、予感がする以上、何かあっても耐えられるように「負けない準備」をしておかなければならない。孫子の兵法である。
孫子は、『昔の善く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。勝つ可からざるは己に在り、勝つ可きは敵に在り。』と教えてくれている。「昔から、戦いに巧みな者は、まず敵が自軍を攻撃しても勝てないようにしておいてから、敵が弱点を露呈し、自軍が攻撃すれば勝てるようになるのを待ち受けたものである。負けないようにすることは自分自身によってできることだが、自軍が敵に勝つかどうかは敵軍によって決まることである。」と言うのだ。
勝つかどうかは、敵の動きや環境に左右される面が多いが、負けない準備は自分で進めることができる。
リーマンショックやバブル崩壊時に、自社にどういう影響があったかを思い出し、それに対する備えをしておきたい。基本は、固定費を抑えて、損益分岐点を低くしておくと同時に、キャッシュを積み増しておくことだろう。だが、円の暴落やハイパーインフレまで考えれば、円をキャッシュで持っているだけでは準備不足となる。
もちろん、守ってばかりで萎縮してしまってはダメだ。変化はチャンス。消費増税による買い控え、駆け込みの反動がある中で、じっと守っているだけでは余計落ち込む。こういう時だからこそ攻める必要があるとも言えるし、そのチャンスが開ける時でもある。敵が隙や弱みを見せる可能性も高い。
だが、それはあくまでも「負けない準備」が出来てから。攻めるためにも、まずは負けない準備だ。孫子の兵法を貴社の経営に活かしていただきたい。
余計な心配が杞憂に終われば良いのだが・・・。
2014年3月
2014年 甲午(きのえ うま)
新しい勢力が芽吹き、伸びようとするのと同時に、それに対する抵抗が激しくなる年。乱世と言っていいのかどうか分からないが、旧来のやり方や常識が通用しなくなる時代の変化が起きていることは間違いないだろう。過去の成功体験に引きずられないように注意したい。
細川さんに恨みはないが、5千万円もらって辞職した人の後に、1億円もらって辞職した過去の人が平然で出てきたり、舛添さんに関心はないが、離党して除名処分になった人を、これまた推薦してしまうあたりで、政治への期待感はまったくなくなった。当てにならないなら、自分で対策するしかない。自らの力で立つしかないというのは、乱世の定めである。
昨年も、アベノミクスの異次元緩和に対する疑念を書いたが、なんとか昨年は乗り切った。だが、やはり作られた景気は所詮張子の虎。バブルに過ぎない。米国のQE3が終わり、消費税増税となった先はどうなるか、不安は尽きない。やはり乱世である。
乱世は、生き残りをかけた厳しい戦いの時でもあるが、新勢力が実力次第で頭角を現すチャンスでもある。日本経済、世界経済の混乱は、ピンチでもありチャンスにもなり得るだろう。そこをどう生き抜くか、よく考え、備えておかなければならない。
奇しくも、NHKの大河ドラマは、「軍師官兵衛」。戦国乱世をどう生き抜くか、その戦略や思考、実行法を学べるヒントがあることを期待しよう。これまで3回放送があったが、毎回「孫子の兵法」がテロップ付きで出てきた。軍師と言えば孫子の兵法を知らないわけにはいかない。戦国乱世を生き抜くには、孫子の兵法が必要だ。となると、孫子兵法家としては、出番があるのではないかと期待する。そう考えていくと、乱世で困ることもあれば、逆に出番もあるわけで、時代のせいや環境のせいにするのではなく、良くても悪くても、その中を生き抜く知恵が必要だということになる。
個人的には、本田がACミランで10番をつけたし、ワールドカップもあるし、サッカー関連で景気を盛り上げて欲しいと期待する。日本人も世界と戦えるのだと自信を持てば、日本企業もグローバル市場を狙って新たなチャレンジができるだろう。その戦いは、日本で作って輸出するというものではなく、現地で作って世界に売るというものになるのではないか。サッカー日本代表が、国際試合で勝てるかどうかと考えるのではなく、日本人選手が海外に住み、そこのチームの一員として世界一を目指すように。
そうであれば、円安よりも円高の方がいい。ソフトバンクやサントリーが米国企業をM&Aする時代なのだから、円安に誘導する政策は止めた方がいい、と思うがどうせ期待はできないから、円が暴落しても世界で生き残れるように手を打っておこう。
今年が乱世の暴れ馬にならないことを祈る。
2014年1月
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