代表長尾が語る経営の道標
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2002年版 経営の道標
地方の中小企業よ、東京を攻めよ
12月3日、東北新幹線が八戸まで開通して3日目に「はやて」に乗った。全車指定席になっていて、速い。東海道山陽新幹線の「のぞみ」と同じような感じだ。途中駅を飛ばして、東京を出て、上野、大宮、次は仙台だ。私は仙台までしか乗ってないが、その間約1時間40分。宇都宮とか福島とかに止まらないので、仙台までの時間が短縮された。東海道で言えば名古屋くらいの時間だ。東北地方では、この開通で首都圏からの観光客をひっぱりたいのかもしれないが、敢えて東京進出を提案したい。旅館やホテル、小売業では難しいかもしれないが、メーカーや卸、サービスなどの業種は、東京、首都圏への営業担当者派遣をするべきだ。放っておくと、首都圏からどんどん攻めて来られることになるだろう。
地方企業の多くは、地元密着、ローカルエリアで商売をしており、その多くは特約店や代理店といった大メーカー主導の権益によって守られて安定した商売をしてきている。しかしその大メーカー自体が生き残りを賭け、ビジネスモデルの見直しを図り、特約店制度の撤廃といった方策を練っている。地方の中小メーカーも、地元の物流を強みとして小回りを利かせてローカルビジネスをやっている。中には結構ユニークな商品をもっている中小メーカーもあるが、なかなか全国へと販売するのは難しい。しかし、時代は変わったのだ。今や「はやて」や「こまち」で東北も近くなった。インターネットもある。携帯電話もある。光ファイバーもある。宅配便は時間指定もコレクトサービスもやってくれる。電話はIP電話となってテレビ会議も簡単に実現できる。
地方の中小企業の経営者の皆さん、まずは東京営業所を立ち上げてみましょう。独身の営業担当者を東京へ一名お送り込むのだ。セルフマネジメントができる人材が望ましいが、ベテランではなくて若手で良い。マンションの一室を借りてそこを事務所兼住まいとする。電話を引き、ADSLを引く。電話は本社に転送だ。NTTのボイスワープを使う。営業担当者が今どこにいるかはグループウェア(NIコラボ)に登録しておけば、リアルタイムで把握できる。それをみて本社の人間が応対をする。伝言があればそこに登録しておけばよい。営業担当者は手が空いた時にそれをチェックする。日々の活動状況はSFA(顧客創造日報)で把握できるし、タイムリーな指示やアドバイスも送れる。東京の営業担当者も本社の動きをつかむことができる。カメラとヘッドセット(マイクとヘッドホン)を買えば(6000円くらい)、インターネットを通じてテレビ電話状態にできる。通話料は無料である。ホームシックになってはいけないので、日に一度は顔を見ながら話をしよう。週末は本社に帰ってきても良い。仙台まで2時間掛からない。大宮(さいたま市)あたりに住まわせれば、移動時間は1時間だ。
地方都市はどんどん人口が減っているが、首都圏にはこれでもか、という程人がいる。地方マーケットとは桁が違う。縮小し高齢化していく地元のマーケットと一緒になって縮小していく道を歩むのか、それともせっかくの商材を大マーケットに送り込むのか、を考えて欲しい。中国とか東南アジアへの進出が話題になることが多いが、内外価格差の前に、国内価格差がある。首都圏の人件費(給与水準)に比べ地方の給与は安い。従って、同じことなら地方の方が安くできる。それをローコストに運ぶことができれば十分商売になる。もちろん場合によってはネットで送信して物流費が掛からない商売もあるだろう。海外からの物流費を考えれば、国内で安上がりな仕組みを考えた方が早いかもしれない。
SOHO(マンションの一室の職住同居)状態で、商売の目途が立ったら、オフィスを構えても良い。今、首都圏は2003年問題で、オフィス賃料が下がっているし、空きテナントがたくさんある。おすすめは、五反田、大崎、品川は高いのではずして、田町、浜松町あたり。山の手線沿線で、品川区、港区だ。ちょっと古いビルなら、坪1万円少々で借りられる。ちなみに、NIコンサルティングのオフィスは最初五反田で、移転して芝に移った。田町と浜松町の中間あたりだ。港区だがこの辺りはそんなに高くない。我々自身も広島から出てきた。広島のローカルマーケットではとてもじゃないが商売にならないので、全国で商売するために東京に出た。もちろんローコストのケチケチ進出だ。上手く行ったので、本社を広島から東京に移したが、元はローカルの超零細企業である。だから私は地方の中小企業を応援している。しかしほとんどの地方企業は元気がない。縮小する市場にしがみついて、それまでのビジネスの延命しか考えてないからだ。10年前には、インターネットも携帯電話も「はやて」も走ってなかったというのに・・・。
私が指導しているクライアントでは、印刷業、米穀卸が東京進出を進めている。地方企業の方で新マーケットを開拓したいとお考えの方は是非相談して欲しい。東京を攻めよう。(名古屋も結構、景気が良い。大阪はちょっと・・・どうだろうか)
2002年12月
社長は「いい人」でいたければ業績を上げよ
先日、ある中小企業経営者の相談に乗っていて感じたことは、「社長がいい人過ぎるなぁ」と言うことだ。いい人とは要するに甘い人ということでもあるのだが、業績が悪いのに断が下せない。口先では社員に厳しいことを言っているが、社員も本気にしていない。社長の甘さに甘えている。だから長期業績低迷に手が打てない。ズルズルと日々の仕事をこなしつつ、「何とかしなければ」と考えているだけ。これでは駄目だ。安易なリストラや減給を奨励するわけではないが、収益が上がらないということは明らかに仕事の仕方が悪いか、お客様に喜ばれていないか、時流から外れているということだから、手を打たないままでは許されない。時流から外れた企業がそう簡単に時流に乗ることは難しいから、仕事のやり方を変え、仕事に対する姿勢を変えなければならない。よく経営で大切なことは時流に乗ることだと言う人がいるが、一般の中小企業で、自社の事業を簡単に転換できるところは少ないし、大企業であっても時流に逆らえず消え去ることが多い。中小企業ではやはりこれまでやってきた事業に関連したところでしか、やれることはないから、時流から外れたと思ったら縮小していくしかない。
と考えてくると、長期間、業績低迷を続けている企業は不本意ながら従業員の整理と業務改善をやらざるを得ない。しかし「人の良い」社長にはどうしても英断が下せない。人間的にはとても好感の持てる人物だ。社員も慕っている。しかし業績は赤字。赤字だから銀行も金を貸してくれない。すると必ず資金繰りに困る。銀行にも説明しなければならないから、縮小計画を出さざるを得なくなる。ところが人を斬れない。
「再生法というのはどうだろうか」と来た。再生法なんて虫の良い話は、実のところそんな簡単なものではない。厳しい決断ができる人でなければ、結局再建など不可能なのだ。借金を棒引きにしてハイさようなら、なんてことは生易しいことではないのだ。次は、「リ・スケジュールして金利だけ払うというのはどうか」と来た。これまでズルズルと銀行借入を続けてきて、一向に借入残高が減らない経営のままでは、いずれにせよ行き詰まる。銀行からの支援をまったく当てにせず、再生できる自信があればやってみれば良いが、安易に申し入れればその場で預金を拘束されてお終いだ。やっぱり金を借りて返さなくて良いという道理はない。大手企業での債権放棄が中小企業経営者のモラルハザードを起こしていることは間違いない。何千億、何百億という途方もない借金を棒引きにしてくれるなら、数億の借金など許してくれても良いだろうと誰しも考える。しかし中小企業はそんなことをしてもらえない。なのにどうしても安易な方へ安易な方へと流れていく。
「ああ、なんていい人なんだろう」と思う。しかしその人の良さによって、社員を路頭に迷わし、借金を踏み倒そうとしている。そうまでして、いい人であり続けようとしている。いい人であり続けるためには、業績を上げなければならないのだ。儲かっているからいい人でいられる。儲からない会社の社長はいい人では終われない。結局最後は、悪い人になってしまう。土地も家もとられ、社員からは蔑まれ、債権者からは責め立てられ、最後には法の裏をかこうとする。これでは困る。
しっかり儲けてしっかり税金を払おう。社員にいい人ぶって節税ばっかり考えるのは止めよう。税金を払わないことには、企業に金は残らない。しっかり金を残して、社員にニコニコ、顧客にニコニコ、銀行にニコニコできる、「いい人」社長になろう。
2002年10月
顧客の声で社内を非平衡状態にせよ
CRMの仕事をしていると、どうしてもクレーム対応の話が出てくる。顧客の声を聞くというわけだ。そこで大切なことは、あまり加工せずにありのままをオープンにするということだ。顧客の声を聞く最前線はなんと言っても営業だ。しかし営業部門が顧客の声を取りまとめて開発部門や製造部門、仕入部門などに伝えようとすると、「また営業に都合のいいことばかり・・・」となることが多い。顧客にとって都合の良いことは営業にとって都合が良く、営業にとって都合の良いことは開発部門や製造部門では都合が悪いことが多いからだ。要するに、営業部門でとりまとめるのがいけない。しかし実際に顧客と一番接しているのは営業部門だから、営業担当者から伝え聞くしかない。となると下手な加工をせず、取捨選択せず、そのままを見せる、聞かせる方が良い。日報をベースにしたSFA(営業支援システム)はそういう時に役に立つ。
次に、やるべきことは顧客の声を分類するということだ。一つひとつの要望やクレームに答えるのは当然だが、集めた声は必ず分類し整理することが大切だ。特にクレームはまとめてみないとその重大さが分からない。また反対に、100軒の顧客を持つ営業担当者にとって、10件のクレームがあれば、10%のクレーム発生となるが、全社で5000軒の顧客があるとすると、0.2%に過ぎない。まとめて整理することによって、過小評価や過大評価を避けることができる。そのためにはどうしてもIT化が必要だ。紙ではまとめて分類するのが難しい。
そしてクレームを要望と捉える。クレーマーをモニターと捉えることが大切だ。自社の商品はお客様が使ってくれて、食べてくれて初めて価値を生む。自社と顧客は価値創出のためのパートナーだ。そのパートナーが出す要求はクレームではなく要望である。異常なクレーマーはお引取り願うにしても、適正なクレーマーであれば、新商品開発モニターとでも考えた方が良い。日本国内では市場は縮小し、今後も大きな成長は望めない。新規開拓は難しくなる一方だ。となれば既存客の満足度を上げ、リピート、追加購入を増やしていくことが重要となる。だから、クレームの犯人探しをしたり、クレームをもらってきた営業担当者を責めるようなことをしてはならない。クレームをもらってこない、顧客の本音の声を聞いて来れない営業担当者の方が余程問題があるとも言えるのだ。
顧客の声が社内にフィードバックされ、公開されると、その声が社内への刺激となって、社内が非平衡状態となる。要するにバランスが崩れ、従来のやり方を疑うようになるということだ。安定した平衡状態では、新しいアイデアも智恵も生まれにくい。個人の創発性が発揮されにくいということだ。外部からの刺激によって部門間、個人間の新しい相互作用が生じ、各自の持つ情報や経験が結合され、価値を創発する。外部の声によって内部を客体化し、視点を外部化することによって新しい個人間の関係性を創り、非線形の変化を生み出すと言っても良い。
組織というのは放っておくとどうしても内向き、内部論理で動きがちだ。上司の目を気にしながら、顧客不在の仕事をする可能性がある。それがエスカレートすると、外部のマイナス情報(クレーム=上司の機嫌を損ねる情報)が隠蔽される。顧客の声よりも上司(組織内)の声を優先させるようになるということだ。何しろ上司は目先の賞与や給与を左右する。それに対して顧客は長期で見るとその本人の給与や賞与を決めるが、当分先のことだし、通常それを意識していない。業績が伸びなくなり、落ち込んできて、給与や賞与が下がるとなると、余計そうなる。本来は業績が落ちているからこそ、顧客の声に応えなければならないのに、だ。
顧客の声を社内に取り込み、非平衡状態を作って、個々人(各部門)の創発性が高まったら、クレームの発生構造を探る。クレーム対応ではなく、クレーム発生の根本原因を探り、業務改善を行うということだ。ここまでやらなければ、顧客の声を聞いたことにはならない。
食中毒の季節がやってきた。虫も増える。知らなかったでは済まされないことは誰しも分かっているはずだ。ありのままの「顧客の声」を全社員で聴こう。
2002年7月
本気で変われば・・・
帝国データバンクの景気動向調査に協力した関係で、倒産速報メールがサービスで届けられるようになったのだが、これが毎日何通も届く。一時期の携帯への迷惑メールのように何通も届く。その条件は30億円以上の負債を抱えて倒産した企業だ。届くたびに暗い気分になる。あまり届くのも邪魔なので、配信をストップしようかとも思うが、これで世の中の動きも分かると思って踏み止まった。最近ではかの有名な名門ゴルフコース。そしてかの有名な日本人デザイナーの名前を冠した会社が通知された。
毎日多くの企業が破産宣告され、再生法の申請を行っている。先日ある銀行員と話をしていたら、「最近は再生法専門の弁護士が居て、すぐに再生法を申請させて困るんですよ」と言っていた。融資先の社長が急にやってきて「再生法です」と言うらしい。倒産を苦に首を吊るのもどうかと思うが、あまりに平然と潰れるのもどうしたものか。中には意図的なものもあるだろう。債権放棄してもらえない中小企業はそうした法にすがるしかないが、本気で経営しているのかと聞きたい気分だ。
そうした再生企業、債権放棄を受けた企業、破綻が噂される企業、リストラ断行中の企業に行くこともあるのだが、これがなんとも危機感がない。社内はノホホンとしている。口では厳しいとかなんとか言っているが、のんびりしている。会社を変えなくてはと言ってはいるが、一向に変える気はないように感じる。「本当に大丈夫なのか?」と聞きたくなる。
今は変化の時代なのだ。戦国乱世である。企業は変化しなければ生き残れない。かつての有名企業も巨大企業も、変わらなければ淘汰されていく。ましてや中小企業は、他に先駆けて変わっていかなければならない。景気が底を打ったと世間では言っているが、仮に景気全体が回復局面に転じたとしても、昨年、一昨年と同じ経営をしている企業に景気回復はやって来ないだろう。優勝劣敗。二極分化だ。
同様に個人も変わらなければならない。成長しなければならないと言っても良いだろう。去年と同じ自分ではダメなのだ。過去にすがり、組織にすがり、企業にすがっていてはダメなのだ。自分自身が価値を生む存在にならなければならない。その価値も独りよがりの価値ではなく、時代のニーズ、顧客のニーズに合った価値でなければならない。世帯主の失業者が108万人で過去最高を記録したそうだが、その中の何人が真剣に再就職先を求めているのだろうか。疑問である。退職金や蓄えで悠然として高望みをしている人も少なくないのではないか。若年層の失業率は男女とも10%を超えている。本当に職がないのか。転職サイト、就職情報誌には求人があふれている。本気で就職する気になれば職がないことはないだろう。何を甘えているのだろうか。就職活動がうまくいかなかったら、自分を変えるしかないのだ。
企業は本気で変革しなければならない。社会のニーズを満足させる存在にならなければならない。でなければ倒産速報に載るだけだ。個人は本気で自己変革し知識を身に付け手に職を付けるしかない。社会にとって役に立つ存在になるしかないのだ。でなければ・・・・・・後は自分で考えよう。
2002年6月
ワークシェアリングでは解決せず
ワークシェアリングの議論が高まっている。既に導入を進めている企業もあるようだが、どうしてこうも人間を粗末に扱うのか。どうしてAさんとBさんが同じ仕事をすると考えるのか。AさんとBさんは違うのだ。おまけに、ワークシェアリングを導入すると同時に副業を認めるという。それなら社員ではなくて、パートや契約社員と同じことである。もともとパートタイマーはワークシェアだ。何も特別なことではない。よくパートタイマーは労働者の権利が保証されないと言うが、労働者の働きやすい時間(短かったり、不規則であったり)で働ける労働者側の都合に立った勤務形態である。それを低賃金に抑えて、生産性の低い作業に甘んじさせる企業に問題があるだけで、パートは労働の選択肢である。ではなぜ正社員のワークシェアをするのか。要するにリストラ、解雇、賃下げといった経営者の汚点から逃れ、「雇用維持のために」という美名を得んがための方策であろう。アウトソーシングも同様だ。アウトソーシング子会社を作って転籍させて、人件費を切り下げる。本体は安泰だ。これでは何ら解決にならない。
企業の収益性を上げる根本は、各個人の生産性や付加価値にある。また、個人がこの厳しい時代を生き延びるには、ワークシェアで生産性の低い仕事を分け合うことではなく、各自の付加価値を高める努力が必要なのであり、短時間でも高い報酬を得ることができるようにする能力を身につけることだ。それ以外に解決法はない。第一、これだけ、知識の時代、ナレッジが大切だ、これからは智恵が問われる、と言っておきながら、人の仕事を時間で割り振るとは何事か。智恵は時間では切り分け出来ない。したがって副業も無理だ。休日などの隙間時間を利用して取り組んでいた趣味が昂じて、金を稼げるようになってしまった、などというのは別だが、他社に勤めたり、派遣に登録したりして、本業の仕事が充分に出来るわけはない。できるのは、時間から時間の単純労働であり、それこそパートタイマーでも充分な仕事だけである。
家庭の事情や持って生れた障害、人生観からあえてフリーな立場を選ぶような場合を除いて、パートタイマーに甘んじさせるようなことをしてはならない。そういう甘やかし、マヤカシをしてはならない。生産性が低い人材がいれば、生産性を上げなければ仕事はない、ということを教えなければならない。もしそうした指導をしても改善が見られない場合、解雇して痛い目に合わせなければならない。それが「親心」である。大企業は抱える人数も多いだけに、リストラや賃下げの影響が大きいことは認めるが、あまりにも「親心」のない企業が多いように感じる。そうした大企業の風潮、動向に同調して、中小企業でも似たような動きを取り入れるところがある。言語道断である。ワークシェアリングだ、アウトソーシングだ、と横文字で呼べば何となく体裁が良いと思っているのかもしれないが、人間を粗末に扱う企業に明日はないことを、今こそ知るべきである。
どんなに頑張っても利益が出ず、企業の存続が危ぶまれるなら、社員と語り合って、本音をぶつけ合って、賃下げせよ。賃下げしても駄目なら、自分達の仕事の付加価値が低いのだから、仕方ないと諦めて、貢献度の低い者から辞めてもらうことだ。それでも駄目なら、余力のある内に企業を清算すべきである。経営者がその覚悟を持って、本気で臨めば、清算まで至ることはないだろう。しかし社員からは不満も出るし、でかい顔はできないし、世間体も悪いし、社長の評判は落ちるだろう。そのリスクを背負って立つことだ。中小企業は債権放棄してもらえないし、経営者以外にその決断ができる人はいない。
釣った魚を分け与えるよりも、魚の釣り方を厳しく仕込みたいものだ。
2002年4月
本物の商売、本物の商品
雪印食品の輸入肉偽装に始まって、食品の産地表示への信頼が揺らいでいる。改正されたJAS法が実効性のないザル法であったことが一般にも知れ渡ったことにより、今後他の食品にも影響し、他業界にも波紋を投げかけるだろう。国および国が制定した法律もあてにならない。企業も何をするか分からない。と不安になればなるほど、消費者は慎重になり、本物を求める。自社のギフト商品で産地を偽装していたことが判明した三越は全額返還を決めた。さすが三越だ。しかしこれによって小売業界の商品納入への目は一段と厳しくなるだろう。デフレが続き、価格競争が激化する中で、止むを得ず産地を差し替え、利益を確保している業者も少なくあるまい。小売業界がとにかく安売り安売りで卸業者やメーカーにプレッシャーをかけ、不法行為に走らせている面もあるのではないか。実際、今回の事件発覚で、これを契機に取締りを強化し、不法な表示を一掃して欲しいと願っている業者もあるだろう。やりたくはないが、競合他社がやっていれば、こちらもやらなければ生きていけない。それを仕入れる側も見て見ぬ振りをする。この構図が長続きするものではないことは誰が考えても明らかだ。消費者にももちろん責任があるだろう。とにかく安ければよいという消費者にはとにかく安いものを提供するしかない。そのニーズに応えるのが企業であり、安いものを求める消費者に責任があるというのも筋が違うが、やはり悪循環の一端を消費者が担っていることは間違いあるまい。
今は、食品業界に限らず、金融にせよ、自動車にせよ、ITにせよ、情報はどんどんオープンになり、安易なごまかしは効かなくなっている。だから顧客はどんどん一番のところ、本物のところ、に流れていく。4月のペイオフ解禁で金融界が選別され、それに連れ建設業界や多額の借入を抱えた企業は淘汰されるだろう。自動車では既に選別が終わったかのようだ。ごまかしは長く続かないのは、日本だけでなく世界共通だ。エンロンの破綻はグローバルスタンダードが怪しいことを世界に伝えたし、米国型の企業経営も絶対ではないことを我々に教えてくれた。ごまかしを止め、偽物を扱うのを止め、目先の浮利を追うのを止めなければならない。
偽物、偽装した物を平気な顔をして売り、不当な利益を得ることは犯罪であり、企業経営とは呼べないが、自らの事業で利益が出ないのに借入をしながら、企業を存続させることもごまかしである。「いらない」と言っている顧客の家に上がり込んで無理にハンコを押させるのは営業力ではなく、ごまかしである。業績を上げた社員に世間相場の何倍もの給与を支払い、海外旅行に連れて行き、多額の接待経費を認めるのは、ごまかしである。ごまかしは長くは続かない。今のうちにごまかしは止め、本物を目指そう。
必要に応じて借入をすることもあるだろう。しかし確実に借入は返済して行き、事業を進めることによって年々企業体質が強化されなければならない。それに供する借入は本物の借入であるが、借入れても借入れても体質は変わらないのでは、偽物の借入だ。「いらない」という顧客を説得するのはまだ良いが、無理に押し込むのはいただけない。その努力をするくらいなら、「いらない」と言われない、少なくとも「いらない」という顧客が少なくなる商品はどんなものか、考え、仕入れ、作る努力をするべきだ。高額な報酬を払い、豪勢な生活をさせて、人の3倍稼がせるのなら、人並みに頑張れば、人並みより多少高い報酬を得ることができるようにして、その分価格を下げても利益が残るようにするべきだろう。そうすれば3倍の人が喜ぶ。人の3倍頑張る営業マンがいないと売れない商品は偽物だと思う。
21世紀は人口減少、環境問題、情報開示の世の中であり、ごまかしが効かなくなる。正しい気持ちで正しく頑張り、顧客も喜び、こちらも嬉しく、それでいて適正な利益が確保され、次代への投資もできる経営を目指すべきである。これを「あるべき論」「理想論」と片付けるのではなく、そうありたい、それを目指そうと考えることが必要であろう。経営の神様、松下幸之助氏が「ダム式経営を実現するためには、まずそうあらねばならないと考えなければならない」と教えたように、本物の商売、本物の商品、本物の経営を目指して、一歩を踏み出すことが、今求められている。
2002年2月
2002年 壬午(みずのえ うま)
2002年は壬午の年。水は命の恵みでもあるが、時にその内在する大きな力で万物を破壊する力を示す。水は生命の母でもある。その母の体内で静かに着実にふくらみ、成長する。今年は変革のエネルギーが内に充満し、今にも噴出しそうになる、新しい息吹を感じる変革の年。それも午年のため、反抗、反逆、反転、上下逆転、下克上の変革。栄華を極めた企業、個人、業界が没落し、新興、亜流、小規模な企業や個人が飛躍のチャンスをつかむ。殖産住宅がペイントハウスに救済される図式はその典型であろう。
今年重要なのは、次の時代への準備と着手。今から着手では遅いくらいかもしれない。これまでに準備をしてきた次への一手を確実に進めるべき時である。目先の現実に一喜一憂するのではなく、3年後、5年後、10年後、50年後を見据えて、今何をなすべきかを冷静に考え、それを実地に移さなければならない。日本の21世紀は、人口減少社会。2007年と予想されていた人口のピークは、2006年に前倒しされたが、実際には更に1~2年早まるのではないか。いずれにせよ後5年もすれば、人口は確実に減少していく。当然高齢化は加速度的に進み、社会保障負担も増え、既に減少に転じている生産年齢人口も、ますます減少する。その時自社がどういうビジネスを行うべきか、どのような事業構造を実現しなければならないか、どのような雇用政策を取り、どのようなIT戦略を構築しなければならないか、明らかにしなければならない。
過去の延長で物事を考えるのではなく、将来のビジョンから現在の在るべき姿を考える姿勢が求められる。いずれにせよ日本人、日本企業に求められることは、労働集約ではなく、知識集約であり、それができない企業は人材を確保することもできないだろう。いかに価値を創出する人材とその活用システムを構築するかが求められる。まだ早いと思っている内に、もう遅くなる可能性が高い。特に老舗企業、大企業、優良企業ほど危ない。売上が伸び、利益が増え、優秀な人材が揃っている企業ほど、今年は要注意。いつ雪印のようになるか分からない。「まさかうちとの取引を打ち切ることはないだろう」「まさかうちがそんなことになることはないだろう」という驕りが、上下逆転を生む。
もう一点、今年重視したいのが、女性の活用。結婚しても子供が生まれても仕事ができる環境を如何に作っていくか。フルタイムでなくても良い仕事。在宅ででもできる仕事。それでいて低賃金ではなく高付加価値の仕事ができないか。それができるような女性を如何に育てるか。パート労働の延長で女性を考えるのではなく、さりとて従来の正社員の延長でもなく、新しい活用を考える企業が21世紀に勝ち残る企業となるだろう。今からでも遅くないので着手して欲しい。出産や育児をしながら仕事もできるようにすることが重要。決して託児所や保母を増やすことではない。最低限の施設は必要だが、特に3歳くらいまでは親が手をかけ育てたい。そしてその間も付加価値の高い仕事をするにはどうすれば良いか、各企業の智恵の出しどころであり、女性の意識改革も求められるだろう。これによって国を変えることもできる。
新暦の2月4日からが新年。今年は面白くなりそうだ。
2002年1月
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