代表長尾が語る経営の道標
2ヶ月に一度更新しています
2007年版 経営の道標
FA(フリーエージェント)の時代
私の地元のプロ野球球団、広島東洋カープのエースと4番がFA宣言をした。エース黒田は、昨年FA宣言をせず広島残留を決断して地元では大いに男を上げた。黒田グッズが売り出され、広島駅で売っている黒田弁当は応援気分で私も食べた。しかし一年後にFAである。盛り上がった分、寂しい気分だ。そして今度は4番新井もFA宣言である。阪神に行きそうだ。いつのまにか阪神のアニキと呼ばれている金本も元はカープだ。江藤はFAで巨人に行ったが大して活躍はしなかった。それもなんだか残念だった。
広島東洋カープは、FA宣言した選手の残留を認めていないそうだ。大物選手を獲得する金もないから、自前で育てる主義である。そしてFA宣言はするな!とプレッシャーをかけるのだろう。今年現役引退した佐々岡や野村、前田など実力がありながら広島一本で頑張っている選手もいる。成功例だろう。
貧乏球団と言いながら、球団経営は黒字である。収入も多くはないが、経費(選手年俸)も使わない。何かあればタル募金をしろだ何だと市民球団を応援せよと言う。広島市の持ち物である広島市民球場を使ってはいるが、ちゃんとオーナーもいるのに。松田オーナーがいて正式な球団名にも東洋(東洋工業 現マツダのことだろう)と入っているのに、市民球団で貧乏なのは仕方ないという言い訳が通用するのは理解し難いが、まぁ何か理由があるのだろう。裏事情はよく分からないので、それは置いておく。それは置いておくが、ここのところの低迷はひどい。万年最下位争いである。貧乏なのは仕方ないが、弱いのはプロスポーツである以上許されない。弱いところにもってきて、エースと4番が抜け、佐々岡は今年で引退だ。こんなことで来期は大丈夫なのか?と心配になるが、プロ野球には二部リーグ降格がないから安泰だ。これはおかしい。二部に落ちるという脅威がないから、弱くても補強せず監督も交代させない。(同じ広島でもサッカーのサンフレッチェはJ2降格の危機に陥っている)
こんな球団経営をしているから、一度は残留を決意した黒田までもが大リーグに行ってしまうのではないか。FA宣言せずに、育ててもらった球団に恩返しせよと言いたい気持ちは分かるが、プロ野球選手はそもそもスタートラインがドラフトで球団選択の自由がない。最初に自由がないから、一定の年限を経たら自由を与えようというのがFAであり、その権利を行使するのは選手とすれば当然である。
そしてここからが本題。本題は、カープのことではなく、一般のビジネスマンのFAのことである。一般の職業では職業選択の自由があるわけだから、FA権はないわけだが、いまや街を歩けば転職雑誌が配られ、電車に乗れば転職サイトの広告があり、インターネットに接続すれば転職サイトのバナーが一番目立つ・・・。まずは登録して自分の市場価値を知りなさいと説く。そして一度登録すれば、スカウトメールなるお誘いが届く。人材登録はプロ野球のFAのようなものだ。宣言してみてどれくらい評価されるか値踏みして、高いオファーがあればチーム(会社)を移る。転職サイトも人材紹介会社も転職してくれないことには商売にならないから、あの手この手で転職を促す。紹介会社の転職コンサルタントに相談しても、そのコンサルタントは「転職しない方がいいですよ」とはめったなことでは言わないだろう。転職させることで手数料が入るのだから。私がその立場なら、「不満があるなら今がチャンスですよ」くらいのことは言う。不満が一つもないような会社はないだろうし、転職した先でもまた不満が生じるだろう。そうしたらまた転職してもらえば良い。株の売買をさせて証券会社が儲かるように、転職をどんどんしてくれれば人材会社が儲かる。しかし、私の会社でもそうした人材会社に採用を依頼することがあるから文句は言えない。
プロ野球のように、選択の自由もなく入団したなら、一定の活躍をした人間に飛躍のチャンスが与えられるのにも納得のしようがある。しかし、「御社で頑張ります」とやって来ておいて、ちょっと不満があったら人材紹介にも登録して、よい条件の転職先があればそっちに移ろうなどという風潮はいかがなものか。そんな中途半端な気持ちで一流の人材になどなれるものか!!と言ってやりたい。だが、これが現実である。
ビジネスの世界では、エースと4番が同時にいなくなるようなことはめったにないかもしれないが、活躍のステージが与えられず、給与にも満足できないとなると、簡単に自主FA宣言だ。それもコソッとインターネットで登録するだけですむ。記者会見もないから「実はカープが好きなんです。移籍したくはないんですが・・・」などと泣きながら言い訳する必要もない。メールで条件をやり取りして、一度か二度面接して、はい決まり。人材不足時代だから話は早い。
そうやって採用をしている企業は人で困っているのだということも考えもせず、見た目の条件が良ければそちらを選ぶのではないか。
FA宣言されたらカープ(中小企業)は巨人や阪神(大企業)には勝てない。カープは強くなって選手に活躍の場を与え、年俸もたくさん払えるようにならなければならない。そうでなければ、高卒ルーキーをドラフトで採って一生懸命育てても、中心選手になったと思ったらFAだ。金がなければ他の球団からFA選手を採ってくることもできない。
これはプロ野球だけの出来事ではない。一般の事業会社においても同様のFAが行われており、ドラフトがない分、一般企業の方が厳しい立場に置かれていると言えるだろう。
企業は成長発展して社員に活躍のステージを用意しなければならないし、給料も高くしなければならないのだ。
野村、前田、佐々岡をチームに残したカープから学び、江藤、金本、黒田、新井を失ったカープを反面教師にしなければならない。
広島東洋カープから目が離せない。
2007年11月
ビジョンの可視化
先行きの見えない会社(経営者)が増えているように思う。5年後、10年後、20年後、自社がどうなっているか、どうなっていたいのかが、経営者からも出てこないことが多い。仮に出てきても、単に売上を○○億円にしたいとか、社員数を○○名にしたいといった現状の延長で規模を大きくするという数値目標だけだったりする。では、その売上○○億円にするためにどういう手順、ストーリーがあるのか、と尋ねても明確な答えは返ってこない。
それはそうだろう。今は混迷の時代である。来年のことも良く分からないのに、10年後、20年後にどうなるかと言われても明確に答えられる人は少ないし、その中で自社がどういう戦略を持ち、どういう展開を行っていくかといった具体的なイメージを持っている人はごく限られている。
特に、これからの日本は人口減少である。マーケットも縮小するし人手も減る。これまでは当り前のことを当り前にやっていれば「負けずに」やってこられた。マーケット拡大期だったからだ。他社を後追いする成り行き経営でも何とかなったわけだ。
しかしこれからは、他社がやっていないことをやるか、他社よりも圧倒的に高いレベルで業務を推進して「勝たなければ」ならない。負けなければ良いのと、勝たなければならないのとで戦い方が違うのは、スポーツや格闘技などを見ても明らかだ。勝たなければならない時は、守ってばかりではダメだからリスクを犯して攻めに出る。新しいことに挑戦するリスクだ。勝てる確証は誰にもないが、勝つためのシナリオを作って打って出なければならない。
勝つためのシナリオを持つことが先行きを見通すことであり、ビジョンを明確化することである。将来のことは分からないと言っていては何も手が打てないことになってしまう。分からないながらも、今分かっていることを積み上げて予測し、自社の進む道を考えなければならない。見えないものを見なければならないのだ。これがビジョンの可視化であり、戦略の可視化である。まず経営者にビジョンや戦略が見えていなければならない。見えないものを見てこそ、リスクをとって前に進めるのだ。
次にそのビジョンは社員に可視化しなければならない。何を目指しているのかというビジョンが分からなければ、人手不足の時代に、一緒に仕事をしようという優秀な人材がやってくることはない。すでにいる社員も、ビジョンが見えなければどこに向かって頑張ったら良いのか分からない。経営者にしか見えていない未来を社員にも可視化してやる必要があるのだ。ビジョンや戦略は実現してこそ価値がある。社員が理解し、共感共鳴しなければ実現は覚束ない。せっかく描いた絵が画餅になってしまってはもったいない。
そのために有効な道具が「ビジョンマップ」である。20年後の自社の姿をBSC(バランス・スコアカード)の4つの視点を使って地図にする。この地図を描くことで経営者も頭が整理できるし、未来への確信が持てるだろう。経営者が確信を持って見せるから社員にも未来が見えてくる。その未来が実現しそうに思えてくる。
人口減少だけでなく、地球環境問題や資源枯渇問題など、これまでにはなかった問題が山積している混迷の時代。地球がどうなるか分からないのに、自社の未来がどうなるか分からないが、分からないからこそ、自分たちで未来を作っていく地図を持たなければならない。分からない、先が見えないからと言って、じっと縮こまっていたとしても生き残ることはできない。
先が見えない時代だからこそ、競合に打ち勝ち、共に戦う同志を募るために「ビジョンマップ」を描いてみて欲しい。
2007年8月
企業の不祥事に思う
社会保険庁の年金宙ぶらりん問題、コムスンの不正請求問題、保険会社の不払い問題、不二家の消費期限切れ原料の使用問題、などなど企業の不正、不祥事が続いている。意図的なものなのか、単なるミスなのか、一時的なものなのか、体質として当り前になってしまったものなのか、個々の事情はよく分からないが、社員(職員)のちょっとしたミスや抜け漏れが大きな事故や不祥事につながる可能性を持つ時代になったことを肝に銘じる必要があるだろう。 一方で、内部統制やコーポレートガバナンス、日本版Sox法など、社内の手続きや業務のルールを明らかにし、不正の起こらないような体制にしていく動きが喧しい。ミスや不正を防ぐという目的は素晴らしいし、特に上場している企業では必須だろうと思うが、あまりに過敏になり過ぎるのもいかがなものだろうか。こうした動きも、不正問題、企業不祥事が表に出てくる要因になっているだろうが、勘違い、書き間違い、打ち間違い、転記ミス、記憶違い、物忘れをどうしてもしてしまう人間に、完全、完璧を求めるのには限界があるようにも思う。 特に、完全、完璧を求めるが故に、新しいことにチャレンジしない、創造性を発揮させない、個人の創意工夫を認めようとしない風土が醸成されてしまうことに懸念がある。あまりがんじがらめにすると、自由な発想も新しいアイデアも出にくくなるだろうし、出てきてもそれを組織として受け入れることができなくなる。これからの時代は、智恵の時代であり、付加価値の源泉は人間の頭の中にシフトしつつある。頭を動かすためには、心を動かさなければならない。心も頭も、外からは見えない。これをすべて統制し、管理し、ミスや不正を無くすというわけには行くまい。人の心や頭の中を統制することはできないのだ。 ではどうするべきか。まず社員個々がやっていることをオープンにし、個々の考えを明らかにする。頭の中にある考えを可視化するわけだ。そしてやってはいけない事、超えてはならない範囲を決める。要するにネガティブリストを作る。それ以外は、原則自由だ。認められた範囲内では、固定的な決められた手順(ポジティブリスト)に従わなくても臨機応変に創意工夫しながらやって良い。しかし、不測の事態が起こることもあるし、人間だから抜けや漏れが生じることもある。だからやっぱりその行動内容はオープンにしてガラス張りにする。欧米なら「神が見ている」ということだろうが、日本では八百万の神だから「お天道様が見ている」状態と言えば良いだろう。誰が見ているか分からないが、お天道様が見ている状態にして、緩やかな秩序を保つのだ。 これらを整理すると、これからの組織には4つの条件が必要となる。①開放系(隠さずフルオープン)②自律協調(自己発働)③相互作用(コラボレーション)④相互牽制(お天道様秩序)の4つだ。そのために必要な道具が「IT日報」であり、この前提となる経営のあり方を「可視化経営」(Visibility Management)と呼ぶ。可視化経営とは、戦略の地図を描き、進むべき道筋を決め、企業行動の実体を可視化することで、経営者から現場の一社員までがセルフマネジメントできるようにする自律協調型の組織運営手法であり、仮説検証スパイラルを高速回転させるスピード経営を実現するものと定義される。これからの企業経営に必須のコンセプトである。普及啓蒙を急ぎたいと思う。
2007年6月
採用と受け入れ
新年度がスタートし、企業には新入社員が入ってくる。初々しいスーツ姿を見かけるとつい自分の新人の頃を思い出し、こちらまでフレッシュな気持ちになれる。社会人としての期待感もあり、初めてのことだらけで不安もあり、環境も大きく変わったりして苦労もあるだろうが、安易に投げ出して早期退職などしないように頑張って欲しいものである。
企業側にとっては、毎年恒例の新人受け入れも、当の本人たちにとっては一生に一度の大イベントであるということを忘れないでいただきたい。お金を払う側から、もらう側への180度の転換であり、人生最大の転換点と言っても良いほどの転機である。転職が珍しくなくなったとは言っても、最初に入った会社や業界の影響はずっと受けるものだ。社会人のスタートがうまく行かないと、その後の社会人生活にマイナスの影響が出る。新入社員は数ある企業の中で自社を選び、人生をかけて入社を決意してくれたのだという自覚が受け入れる既存社員側に求められる。
気がかりなことがある。昨年あたりから大手企業を中心に大量採用が始まっていることだ。2007年問題で団塊世代が退職するのと景気が持ち直していることから若年層を増やそうとしているのだろうが、果たしてその大量採用が、学生個々にとっては一生に一度の大切な転機を左右してしまうことを考慮したものになっているのだろうか。20年ほど前のバブル経済下においても大量採用が行われたが、その数年後には「バブル入社組」などという言葉が生まれ、無理して採用した人たちは一転してリストラ対象となってしまったではないか。また、最近は大卒でも入社後3年ほどで約3割が退職すると言う。どうせ3年で3割辞めるのだから多めに採用しておこうなどと言う、大企業だからできる確率論的な採用活動になっていないだろうか。企業にとっては100分の1、1000分の1の社員であっても、社員本人にしてみれば1分の1である。本当に個々の社員のことを考えた採用になっているのだろうか。はなはだ疑問である。
学生の側、転職する社員側もよく考えてみる必要がある。日本はこれから人口減少が進んでいく縮小マーケットとなる。すでに多くの業界で再編や淘汰が始まっている。企業は社員の人生を保証することはできない。その企業自体が生き残るかどうか保証できないのだ。大企業だから安心だろうという考えもマーケット拡大期には正しかったかもしれないが、マーケット縮小期には通用しない。大企業だからこそマーケット全体が縮小する影響をもろに受けてしまう。潰れはしなくても再編に巻き込まれる可能性大だ。終身雇用や年功序列が期待できないのはもちろん、企業は社員の人生を保証してくれないし、保証などできないのだという自覚を企業側も社員側も持つべきである。
その上で、一生に一度の大転換である学生から社会人への旅立ちをより良いものにすることを考えて欲しいと思う。自分の人生は自分が保証するしかない。そのために必要な場や経験を提供してくれるのが会社である。企業の人事政策も大きく転換すべき時に来ている。
2007年3月
2007年 丁亥(ひのと い)
停止、停滞、障害があるが、地中には種子の核がある。種はあるけれども芽は出にくいという年まわりか。異常気象、天変地異の可能性もある中で、いかに備えるかが問われる。地球環境、2007年問題、人口減少、高齢化など避けられない問題に対して意識変革、改革が求められる一年。危機と捉えるかチャンスとするか。
地球温暖化が誰の目にも明らかになる中で、企業には環境経営が求められるだろう。企業の社会的責任として環境問題は避けられない。経済成長と地球環境のバランスをとるにはどうするか真剣に考えるべき時が来たと言える。しかしこれがなかなか難しい。一社だけで対応できることでもなく、世の中のパラダイムが変わるのを待つしかないか。環境をビジネスにするか。
団塊の世代の大量定年問題に限らず、人材の確保は喫緊の問題として企業の壁になるだろう。若年人口は減り、新規学卒の供給も減る。そこにベテランの大量退職が重なればインパクトがある。頭数の確保だけでなく現場のノウハウや知識を伝承するという点からも問題が生じるだろう。2007年問題と言えばすぐに生産現場の話が出るが、営業現場など他の職場でも同様の問題がある。特に営業部門では単に技術を教えるだけでなく人脈を引き継ぐ必要があり、短期的に伝えられるものでもない。企業の財産とは何か、経営者の理念や思想が問われるだろう。
人口減少によるマーケット縮小は、多くの業界で競合激化やそれに伴う再編を促す。横並び経営、モノ真似経営、後追い経営では生き残れない。他社に先んじるか、他社がやっていない独自の手を打つ必要がある。他に例がないだけに「手本」「見本」「正解」はない。自社が打った手を正解にしていく推進力が必要となる。独自の手を考え出し、それを推進していく源泉は「人」である。人間の智恵だ。人材不足の中で如何に優秀な人材を確保し、その人材の持つ価値を引き出すか、経営者の腕の見せ所とも言える。
マーケットが縮小する中で、マーケットを切り拓く人材の確保も難しくなり、無理な頑張りでそれを超えようとすると地球環境にマイナスとなる。二進も三進も行かないと投げ出すか、その障害の中に機会を見つけるか。企業の淘汰が始まる。
2007年1月
経営の道標 年度別
経営の道標 2023年版
経営の道標 2022年版
経営の道標 2021年版
経営の道標 2020年版
経営の道標 2019年版
経営の道標 2018年版
経営の道標 2017年版
経営の道標 2016年版
経営の道標 2015年版
経営の道標 2014年版
経営の道標 2013年版
経営の道標 2012年版
経営の道標 2011年版
経営の道標 2010年版
経営の道標 2009年版
経営の道標 2008年版
経営の道標 2007年版
経営の道標 2006年版
経営の道標 2005年版
経営の道標 2004年版
経営の道標 2003年版
経営の道標 2002年版
経営の道標 2001年版
経営の道標 2000年版
経営の道標 1999年版
経営の道標 1998年版
NIコンサルティングへの
お問い合わせ・資料請求