代表長尾が語る経営の道標
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2006年版 経営の道標
部下を叱れない上司へ
先般、あるビジネス雑誌からの依頼で、「後輩を指導できない先輩社員に対しどう指導すれば良いか」というテーマで記事を書いた。言われてみたら確かにそういう先輩が増えているし、管理職の中にも部下をうまく指導できない、叱れない人が少なくない。「誉めろ」「叱るな」と言われ過ぎなのか、自身が叱られた経験が少ないのか、30代40代の若手管理職の中に、部下を叱れない人がいる。
日本が豊かになり、民主的な世の中になった中で生まれ、育ってきたからシビアさがないのか、この30代40代の上司と言えば団塊の世代あたりで、この世代があまり部下には厳しく言わなくなっていたような気もする。団塊の上となると戦争を知っている世代で、厳しい指導もあっただろう。その反動で団塊の世代が下には優しくしたのかもしれない。
そして、何より、部下世代の20代が打たれ弱くなっている。だから「叱ってはいけない」「誉めろ」と言うが、いつも誉めていたのでは有難味もなくなってくる。いつも叱られているのに、誉められたらすごく嬉しいということはあるだろうが、いつも誉められていたのでは、本当に誉めているのか、口先だけなのかと疑われてしまう。
最近では、小学校で先生が体罰をしないのをいいことに、先生に向かって暴力を振るう子供がいるらしいが、悪いことをした時にはビシッと叱ってやらないと、良い悪いの判断も身に付かないだろう。
部下を育てるのにも、本当に出来が良く、何をやらせてもうまくやり、自分で勉強したり進んで仕事に取り組んだりするような部下であれば、誉めてばかりで良いだろう。しかし実際にはそんな完璧な部下はめったにいない。ほとんどの部下は問題だらけ、あれも知らない、これもできない、何度教えても忘れてしまう。ちょっと何か言うと「個性を尊重してくれない」「人間として認めてくれない」などと個人主義的な主張をする。どうやって誉めれば良いのだろうか?良いところを探せというけれども、仕事ができなければビジネスにはならないわけで、カウンセラーみたいなわけにはいかないだろう。人はいいけど、仕事はできないというのでは、どんなに長所があって素晴らしい人格であっても仕事ができない部分は指導しなければなるまい。
上司は叱ることに躊躇し、部下は叱られることに慣れていない。躊躇しながら叱るものだから、「それは課長の意見ですか。それとも会社の方針ですか」などと偉そうなことを部下から言われたりするはめになる。
そこでおすすめしたいのが、指針を持つということだ。上司の背骨を作ると言っても良いだろう。部下指導においては論語が良いと思う。2500年前の昔から時代を超えて評価されてきた指針である。
例えば、『子曰く、賢を見ては斉しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みる。』という一節がある。成功事例からも失敗事例からも学ぶことができると解釈して良いが、これを我が道を行こうとする部下に説く。「私もそう思うし、孔子も言っている。もっと他人の経験から学ぶということをしたらどうか」という具合だ。上手に孔子の智恵を借りる。部下指導がうまくできない原因の一つに、上司が自分の考えに自信を持っていないということが挙げられるだろう。自分の背骨が曲がっているわけだ。そこで論語に真っ直ぐにしてもらう。「私の個人的意見でも、会社の方針を伝えているわけでもない。論語がそう教えてくれているんだ」と。
人間の一生で学ぶこと、経験することなどたかが知れている。他者の智恵を取り込んでいくことが必要なのだが、それには長い歴史を経てきた古典がベストだ。宗教を持ってきても良いが話しがややこしくなるので宗教ではない方が良いだろう。
もちろん論語の一節をいちいち引用する必要はない。上司が部下指導の指針にすれば良いのだ。言うべきことを言ってやらなければ、その部下は成長機会を逸することになってしまう。
部下は叱ってやらなければならない。しかし正しく叱ることが重要だ。正しく叱るためにはまず上司が正しい指針を持って、部下指導の背骨を真っ直ぐにすることが必要なのだ。
2006年10月
経営品質
あの日本一の自動車メーカーがリコール隠しを疑われている。そして次々に出てくる大量のリコール。最大手生命保険会社への業務停止命令。大手損保会社でも二社が業務停止。日本を代表する経済紙社員によるインサイダー取引もあった。日頃高い評価を得ていた企業でもこのような不祥事が出てくるのは、日本企業の実体が蝕まれている証拠ではないのか。企業の社会的責任やコンプライアンスなどが声高に叫ばれる割に、こうした不祥事が増えているように感じるのは私だけだろうか。
利益偏重の経営を推進し、厳しいプレッシャーのかかる成果主義人事が広まっているから不祥事が発生しているという単純な構図とは思わない。利益重視で高い品質を実現する企業もあるし、成果主義で人材のモチベーションが上がっている企業もあるだろう。しかし、どこかに歪みや断裂が起きていることは間違いない。
戦後の教育に問題があるのか。企業のリストラが進んで人手不足が起こっているのか。リストラによって社員のモラルやロイヤリティーが下がったということもあるかもしれない。上司が部下を厳しく指導しなくなったということが影響しているのか。大手企業ゆえの驕りか。多くの原因が複合して起こっていることだろうと思う。
そうした中で見過ごすことのできないのが、不祥事を起こした当事者本人ではなく、その周囲にいる人間がその不正行為というか所業を見過ごした、もしくは見て見ぬ振りをしたという事実である。同じ部署の人間が何か不正な仕事をしていれば普通気付くだろう。隣に座った人間が何かしらおかしな行動をとっていたら不審に思うだろう。それに気付かないほど、周囲に対して無関心であったり、気付いても自分のことではないからと見て見ぬ振りをする他人事の姿勢が企業の経営品質を高める上で大いに問題である。
自己と組織との関わりを理解していない、自分さえ良ければそれで良いという考え方が蔓延していくと、如何なる企業でも崩壊への道を歩むことになる。企業の実体は社員個人である。社員個人が寄せ集まって企業を形成する。企業と社員個人とは密接につながっており、切っても切り離せない関係である。評価の高い企業に勤めていればそれだけで個人の評価も高まるし、逆にたった一人の不正や過誤によって企業全体の評価が地に落ちる結果となる。だから隣の人、隣の部署、他の拠点のことも他人事ではない。同じ会社で働く一員なのだ。つながっているのだ。
私はこうした認識を、全体の中に部分があって、部分の中に全体がある関係「全個一如」と呼んでいるが、企業の経営品質を高めていくためには必須の考え方である。「自分さえ良ければ」という考え方ではダメなのはもちろん、「自分さえ罰を受ければ」という考え方もダメなのだ。全体も個も同時に良くなることを目指す必要がある。滅私奉公ではなく活私奉公である。企業の実体である個々の社員が、この価値観を持っていれば、企業の不祥事は激減するだろうし、仮に起こっても大きな問題にならずに収束することができる。
あの○○○でさえ品質の低下やモラルダウンに直面している。自社の実体も検証してみてはいかがだろうか。
2006年7月
朝令暮改から朝令昼改へ
朝令暮改は、指示命令や言うことがころころと変わって部下が動きにくいことを諫める言葉だが、朝令暮改を恐れず、どんどん変えるべきであり、「朝令昼改」くらいでも良いと思う。時代の変化が速くなったからだ、などと言うつもりはない。それはもう当たり前だから。
そうではなく、先が見えず、答えが見えない時代になったからだ。どこにどう進むべきかが見えない。方針やビジョンを示すのが非常に難しい。従って指示命令も確固たる自信があって出すのではない。あくまでも仮説なのだ。朝立てた仮説が正しかったか間違っていたかを検証するのに日が暮れるまで待っていては遅過ぎる。昼には仮説を検証し、それによって新たな仮説を立てて次の指示を出さなければならない。これが「朝令昼改」だ。そして次は「昼令暮改」だ。昼に出した指示命令は夕方には結果と比較し、修正を指示しなければならない。今、企業には、仮説検証スパイラルを高速回転させることが求められている。
人口減少時代に突入したことで、業界全体がマーケット縮小に巻き込まれ、同業他社との横並びでは生き残ることができなくなっている。マーケットが拡大していた時には負けなければ良かった、要するに他社の後追いでも良かったが、マーケットが縮小すれば他社に打ち勝たなければならない。そのためには他社がやっていない独自の戦略や戦術を打ち出さなければならない。これは難しい。
他業界に視野を広げ、先進企業のベンチマークをするのも、コストダウンや合理化などには有効だが、マーケットが縮小する中でどうやって売上を伸ばしていくかといった点ではあまり参考にならないことが多い。
そして、この人口減少社会は、日本が先進リーダーであって、欧米先進企業の事例を参考にすることもできない。欧米が先進ではなく後進なのだ。これは困る。
これまでお手本としてきた欧米企業もあてにならず、国内先進企業も参考にならない。一番確実な参考事例であった同業他社の成功事例は役に立たなくなった。もはや自力で戦略を立て、実行計画を作成して、戦術に落とし込むしかない。そこまでは腹を括ってやったとしても、それに絶対の自信をもって「3年間やり切ろう」とか、「今後10年はこの方針で行く」などと中長期の指針を提示することは不可能と言っても良い。
長期ビジョンを作成し、中期計画に落とし込んで、年度方針を徹底させて行くといったこれまでのセオリーを捨て、基本理念は変えないが、一旦作成した中長期の方針や計画はあくまでも仮説であって、まずい点や実態とズレた場合には、即座に仮説を再構築し、方針転換も辞さないという姿勢で臨むべきである。
仮説検証スパイラルを高速回転させるためには、時々刻々と変化する経営実体を把握する仕組みが必要である。この仕組みを実現し、経営スピードを上げる取り組みを「可視化経営」と言う。見えれば気付き、気付けば動ける。動けば何かしら変化があるから、その変化をまた見る。このサイクルをクルクルと回転させていく仕組みである。
安全確実な戦略や方針が描けない、前人未到の人口減少マーケット縮小時代に生きる我々は、常に仮説構築と実地検証を繰り返し、道なき道を進んで行かなければならないのだ。
「朝令昼改」を旨とし、可視化経営を実現したい。
2006年5月
人がいなくても成り立つ経営
毎年この時期には、人材採用について考えざるを得ない。新卒採用がピークを迎えるからだ。今年は完全に売り手市場へと様変わりした。大手企業が軒並み採用枠を広げたことで、中堅・中小企業には一気にしわ寄せが来ている。
同時に、団塊の世代が定年を迎える2007年問題も近づいてきているし、長期的に人口減少で生産年齢人口の減少も急速に進むだろうから、若年層にせよ中高年層にせよ、人材確保は非常に難しい経営課題となるだろう。
バブル期の採用は、学生に飲ませて食わせて○○○させて、しまいには海外に連れて行って拘束するという常軌を逸したものであった。そうまでして採用した人材を「バブル入社組」としてリストラ対象にしたりしているのだから、大企業の採用ポリシーもあてにならないが、今また大量採用を始めた大企業に学生がなびいているのは歴史に学ばない嘆かわしい寄らば大樹志向だと思う。そのような学生を無理して採用するのは中堅・中小企業にお勧めできない。しかし、確実に採用環境は厳しくなる。
ではどうするか。女性の活用や中高年の活用なども当然考えるべきだろう。それはすでに当然のことだから、ここでは「人がいなくても成り立つ経営」について考えてみたい。
「企業は人なり」―――人材こそ企業を支える実体である。それは間違いない。私共NIコンサルティングでは、「ネットワーク・アイデンティティ経営」というコンセプトで、企業の実体は個々人(PI)のネットワークであると考えているくらいだ。しかしその人材が確保できないのであれば、仕方ない。最小の人数で経営を成り立たせる、人がいなくても成長し、利益を生む経営を考える必要がある。
ITを活用する。ネットで売る。他社に売ってもらう。他社に作ってもらう。寝ていても売れるヒット商品を開発する。誰でも売れるような仕掛けを用意する・・・・・・。
近い将来には、ロボットが登場して人材不足をカバーするようなことになるだろうが、それまでは待てない。人がいなくてもやっていける、人は必要だけれども質を問わない、経営を今こそ経営者は真剣に考えなければならない。特に中小企業はそうだ。これまで多くの中小企業は人海戦術で何とか乗り切ってきた。付加価値や生産性の低さは人手でカバーしてきた。大企業より手間をかけ、大企業よりも長く働き、大企業よりも低賃金で戦ってきた。しかし、もうそれでは通用しない時代がやってきたと考えるべきである。何しろ人が雇えないのだ。
今は、単に頑張って売れる時代ではない。頑張らずに売る方法を考える方が、いままでのやり方のまま頑張って売る方法を考えるより難しいくらいである。発想を変えて、頑張らずに売ることを考えてみよう。頑張らずに売るために頑張って頭を使ってみよう。それが善いか悪いか、好きか嫌いかは関係ない。人がいないのだから。
経営者や幹部が智恵を絞って、人がいなくても大丈夫な、人材レベルが低くても大丈夫な会社ができて、その上で、人材が確保でき、その人材が高いモチベーションで頑張ってくれたなら、より大きな力を発揮できるだろう。企業の根本は人材である。だからこそ人材がいなくてもやっていける経営を目指してみよう。逆転の発想でしか、この苦境を乗り越えることはできそうにない。
2006年3月
2006年 丙戌(ひのえ いぬ)
前へ進む力が強く、どんどん進もうとするが、その分反動も大きく、抵抗、騒乱、逆転を生む可能性あり。極まれば転じ、離合集散、主客転倒、二極分化を起こす。
05年は構造偽装に終わり、06年はライブドアの偽計取引に始まった。世を欺き、偽りの利益を貪ろうとする所業が目立つ。経営者の理念、使命感、企業の社会的責任が問われる一年となるだろう。地球温暖化による異常気象、既に始まった人口減少、人知を超えた新型インフルエンザやBSE問題、食えないのではなく心が餓えている自殺者やニートの増加など、科学技術や金では解決できない緊急課題に直面している現在、「自分さえ良ければ」「自社さえ良ければ」という自己中心的な価値観を持ち続けることはできなくなっている。「金があれば何でもできる」「稼ぐが勝ち」と豪語し、世界一を目指した若手経営者が敢え無く転落したことも、知識や金だけで全てがうまく行くわけではないことを世に知らしめるためであったのかもしれない。
今年はトリノ五輪にサッカーワールドカップなどもあり、大型テレビなどの個人消費が盛り上がる気配だが、確実に進行している二極分化によって、下流社会が拡大していくことへの懸念がある。一方では、高級外車(もしくはLEXUS)に乗り、大型プラズマディスプレイでワールドカップ観戦し、高層マンションからワインを片手に下界を眺める少数の上流社会があり、一方では、派遣かアルバイトで年収300万円にも届かず、大型ディスプレイを置く場所もない狭い部屋で、将来への展望が拓けず夢が持てない下流社会がある。社会の階層化は、消費マーケットの縮小をもたらし、治安を悪化させ、若くて優秀な人材供給を阻害する要因にもなる。その結果は上流社会へもマイナスの影響を与えることとなり、決して他人事で済ませる問題ではないだろう。
企業は、経済活動だけでなく、社員に夢を与え、希望を持たせ、「今さえ良ければ」「自分さえ良ければ」という安易な考えを捨てさせる取組みをしなければならなくなるだろう。人口減少も当初の予測よりも2年前倒しでスタートしてしまった以上、出産や育児への支援も必要不可欠だ。ただでさえ、経営が苦しいのに、余計な教育や支援などできるはずがないと考えてしまっては、これから先の生き残りは厳しいと考えなければならない。
今こそ、企業は社会の公器であるとの理念に立ち返り、企業経営のあり方を問い直す必要がある。
2006年1月
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