代表長尾が語る経営の道標

弊社代表長尾の経営に関するメッセージを
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2005年版 経営の道標

経営の道標11月

人口減少元年

 2005年が日本の人口減少元年となった。従来の予想よりも2年前倒しである。予想以上に少子化が進み、同時に自殺者などが増えている。日本人の生活は豊かになり、景気も回復してきたと言われながら、将来に希望も持てず、「下流化」していく人たちが増えているそうだ。下流の特徴は、上を目指す意欲がないことらしい。決して金がなかったり、食うに困っているわけではない。ソコソコには暮らしていけるけれども、将来への希望もなく、漠然とした夢はあってもそれに向けた努力はしようとしない。これでは出産も増えるはずがないだろう。自殺者が増えるのも頷ける。
 人口減少社会は、決して悲観すべきものではなく、一人ひとりの生活は逆に豊かになる可能性が高いとも言われる。自宅は都心に回帰できるし、価格も下がるだろう。通勤ラッシュもなくなり、物価も下がり、全ての若者が大学に入れるようになる。
 しかし、果たしてそれが本当に豊かな社会なのだろうか。人はパンのみに生きるわけではない。パンがたくさんあっても食べきれない。家が広くなっても寝るのは一畳だ。セカンドハウスがあっても寝るのは一ヶ所でしかない。車が何台もあっても一度に乗るのは一台であり、二台目くらいは嬉しいかもしれないが、三台も四台もあったら維持費だけで大変だ。
 他人との相対比較によって自分の幸福度を決めようとするのであれば、より多く、より広く、より高くすることが幸福への道だが、それでは他者の幸福が自分の不幸となり、他者の不幸が自分の幸福となる生き方になってしまう。それでは決して豊かで幸福な社会は実現しないだろう。
 やはり幸福は、目標を持ち、それを実現していく瞬間の積み重ねにこそ宿るものであって、他人との比較の中には本当の豊かさも幸福もあり得ないのではないだろうか。
 そういう点から考えると、今の日本は、人口減少よりも目標喪失、希望喪失社会になりつつあることが危急の問題ではないかと思う。「足るを知る」という言葉がある。概ね良い言葉として捉えられることが多いが、モノや金に対する場合には良いが、それ以外にはどうだろうか。拝金主義やブランド崇拝などに対して「足るを知れ」と言うことはあっても、若者や企業家に対して「足るを知れ」と言ってしまってはよろしくない。自己成長や人格練磨、社会奉仕、国際平和、我々には決して足るを知ってしまってはならない課題がいくらでもある。自分さえ良ければ、日本さえ良ければと考えれば、足るを知った方が良いだろうが、我々にとって為すべきことはいくらでもある。
 このような目標設定、ビジョン設定は企業が社員に教育するべきだろう。今の学校では無理だ。学校の成績を押し上げるためには他の生徒の成績は低くなった方が良い。相対比較の中では他者への奉仕は考えにくい。自分もプラスになり、相手にもプラスになるという関係は絶対評価の企業でしか教えられないだろう。目標を持ち、それを自らの努力で達成していく、その大切さや楽しさ、充実感を企業教育で教えて行くことが、その子供たちにつながり、社会を支えていく力になるのではないだろうか。
 人口も減少し、競争も少なくなる時代だからこそ、自ら目標を持ち、自らそれに向けて努力する姿勢や力を身につけていきたいものである。企業はそうした社会教育の一翼を担うことで、人口減少、少子高齢化社会への責務を果たすべきではないだろうか。

2005年11月

経営の道標9月

プラザ合意から20年

 1985年9月22日のプラザ合意からちょうど20年。もう20年も経ったのかと感じるが、この20年は激動の20年であったことは間違いない。プラザ合意によって一気に円高ドル安が進み、輸出依存度の高かった企業はグローバル化の波によって淘汰された。一方で円高で購買力が高まった個人や企業はバブルに踊り海外に出掛けた。バブル崩壊後は国内組も淘汰が進み、倒産や合併などが相次いだ。こうした動きを象徴するのは銀行界だろう。バブル景気を「今、借入せずに儲けないのはおかしい。いくらでも貸しますよ」と後押しし、巨額の資産を背景に海外へ触手を伸ばした。ところが一転して不良債権問題を抱え、破綻あり合併あり・・・グローバルスタンダードに追い詰められた都銀はメガバンクになって、さらにメガ同士が一緒になろうとしている。
 この間、ポケベルが携帯電話に代わり、レコードがCDになって更にダウンロード販売にシフトした。インターネットが登場し、その回線は電話線から光ファイバーに切り替わりブロードバンド化が進んでいる。ビジネスを支える情報通信の姿は大きく様変わりしたと言っても良いだろう。人々の生活も企業経営のあり方もそれによって変革を迫られているように思う。
 しかし、多くの企業をこの20年見てきて、企業経営や営業スタイルなどを変換できていない企業が少なくない。確かに人材採用にはネットを使うようになったし、顧客ともメールでやり取りする。ポケベルは廃止して携帯電話を使うようになった。しかしビジネスの根幹はほとんど変わっていない。新業態、新業種、新スタイルを実現しているのは、ITベンチャーなどに代表される新興企業である。過去の成功体験や過去に培ってきた資産が時代への適合を妨げているのではないだろうか。
 本来、永年の実績を積み重ねてきた企業は、それだけ人材や資金、また信用もあるわけだから、より有利に環境変化に対応する投資や取組みが可能なはずなのだ。しかしそれをせず旧態依然とした商売を続けようとする経営者が多いのは誠に残念だ。特にそれが二代目、三代目の後継者だったりするから気の毒だ。創業者なら自分が創ってきたものだから「無くなっても元に戻るだけだ」と開き直ることもできるだろうが、受け継いだものだからそうもいかない。今あるものを壊して新しいものを創るより、ゼロから好きなように創る方が簡単だとは良く聞く話ではあるが、どうしても守りに入ってしまう人が多いようだ。
 戦後60年、プラザ合意から20年、バブル崩壊から15年、インターネットの商用利用から10年を経て、今まさに日本は人口減少時代へとシフトした。人口減少はV字回復のできない問題であり、どの企業も避けて通ることはできない環境変化である。手をこまねいていても状況は厳しくなるばかりだ。座して死を待つか、動いて勝ち残るか、を選択すべき時ではないだろうか。
 先日、弊社がセミナーをやっている隣の部屋で、どこかのFC本部が「生き残るのではなく、勝ち残るにはどうするか」と銘打った加盟店募集のセミナーをやっていたが、人口減少のマーケット縮小・人材不足時代には、「勝ち残らなければ生き残れない」というルールが適用されることになるのではないだろうか。中国の暦では、プラザ合意の翌年から乱世に入っており、それがあと40年は続くと言う。これまでの20年は乱世の序章であり、これからが乱世の本番と言う人もいる。
 企業経営者は今こそ、先を見据え、時代の荒波を越える決断をしなければならない。

2005年9月

経営の道標7月

問題によって能力が発揮される

 7月23日土曜日、首都圏の交通を麻痺させた地震が起こった。その時私は運悪く震源に近い千葉県の船橋で電車に乗っていた。姉ヶ崎で社員研修の講師をした帰り道、電車が止まって4時間ほど足止めをくらい、そこで京成線に乗り換えてトータル6時間をかけて都心へ戻った。都市交通の脆弱性を思い知らされた出来事であり、JRさんが安全に対して神経質になり過ぎているのではないかと感じた出来事でもあった。首都直下型の地震が来た時にはもっとひどい事態になることが予想されているわけだから、その時への心の備えとなる体験だったかもしれない。
 この地震体験で興味深かったのは、困った状態になったら皆、情報を集め、智恵を絞るということだ。車内アナウンスに耳を澄ませ、携帯電話で家族や知人と連絡を取りながら色々な情報を集めていく。周囲の乗客が話しているのを聞いていると、震源はどこか、東京はどれくらい揺れたか、他の路線は動いているのか、タクシー乗り場にはどれくらいの行列ができているか、など刻々と情報が集まってくる。皆、必死に情報を集め、どう動くべきかを考えているようだ。
 私はモバイルパソコンを持っていたので、電車内からインターネットにアクセスして震源地や震度、交通情報をゲットした。マグニチュードも小さいし、震度も大したことはなさそうだから、すぐに運転再開になるだろうと高をくくっていたのだが、いつまで経っても動き出す気配はない。車内アナウンスでも「再開の目途は立ちません」と言う。そうこうしている内に、電池の残量が乏しくなり、携帯電話の電池まで怪しくなってきた。まったく電池切れしてしまっては、イザという時の連絡手段を断たれるから、そこで電源を落として、また周囲の話し声に耳を澄ます。隣の人とも情報交換だ。普段、知らない人に話しかけることなどないが、危機なのだから仕方ない。そしてやっぱり何をするにも情報が必要となる。
 普段、我々は、何気なく生活をし、必死になって情報を集めたり、どうやって現状を打開しようかと智恵を絞るということもなかなかない。ところがイザ困った状態に置かれると、自然に持てる能力を発揮しようと五感を働かせる。そこで大切なことは、困った状態になる前に、五感を働かせ、智恵を絞るということだ。そのためには、高い目標を持つことが必要になる。問題とは、目標と現状との差だから、目標を高く、明確に持てば問題が生じる。その問題を意識することで、必死に情報を集め、何とかしようとして智恵を絞ることができる。地震や台風、テロなど自分ではどうにもできない天変地異はコントロールできないが、目標を持つことは自分でコントロールできる。困った時には能力が発揮できるのだから、問題を作り出せば能力は普段でも発揮できるはずである。
 人間の持つ可能性を引き出すために、自ら問題を作り出すということを意識してみたいと考えた、人間の力が及ばない自然の力に屈服させられた一日であった。
 企業経営においても、個人の人生においても、持てる力を発揮するためには、目標を明確にし自ら問題を作り出すことが重要だ。起こってしまった問題によって追い詰められてから智恵を絞るのではなく、余裕のある状態で智恵を絞れるようにしていきたいものである。

2005年7月

経営の道標5月

JR脱線事故に思う

 JR福知山線脱線事故において、JR西日本の企業体質が問われている。脱線事故を知りながら懇親会を行ったとか、ゴルフ大会があったとか、脱線車両に乗り合せていた運転士が救助活動もせずに出社したとか、非難轟々である。自分の仕事さえやっていれば後は知らないという個人主義や、上からの指示通りにこなすだけの官僚主義、そうした事実を隠そうとする隠蔽体質があると言う。しかしそんなものはどこの会社にもあるわけで、一つの事故で全社員の人格を否定するかのような非難や報道は行き過ぎだろうと思う。更には十年以上も前の信楽鉄道衝突事故まで引合いに出され、この時も運行の遅れを取り戻そうと規定速度以上で走っていたのに、反省が活かされていないという指摘がなされている。果ては、そもそも国鉄の時代から官僚主義で、仲間内の論理を優先させるムラ組織であったとか、仲間内でのいじめ体質があったのだ、という「そもそも論」まで出てくる。
 そんなことを言っていたら、悪はいつまでも悪であり、改心し更正することなどあり得ないことになってしまう。そうではなく、どんな人間もどんな企業も、悪もあれば善もある。悪と思ったことが善に作用したり、善だと思ってやっていたことがある場面では悪になって出てくることがあるのだ。この福知山線の脱線事故も、なんとか定時運行に戻そうという善の心から生まれたものだ。「電車が遅れても関係ない。乗客の中に急いでいる人がいても知らない」と、この運転士が考えて平気で遅れていれば、事故は起こさなかったかもしれないが、「JRは時間に正確だと思っていたのに、大事な約束に遅れてしまったではないか」という非難を受けていたかもしれない。当然、運転士としては失格であろう。この運転士は「遅れたら乗客に迷惑がかかる」という善の心を持っていたのだ。
 物事に「オール善」や「オール悪」はない。善でもあり悪でもある。ある時は善であり、それがまたある時は悪でもある。一事の悪を取り上げて、全てを悪だと決め付けるだけでは、物事の実体は変えることができない。
 しかし、ここでもう一つ大事なことは、一つの悪ですべてを悪と判断されてしまうという現実も認識しておくということだ。それもまた実体である。社員の中に一人でも悪業を行う者があれば、全社員が「同じ穴のムジナ」と判断される。全体と個は一の如しで、これを「全個一如」と言う。会社とそこで働く個人とはまさにこの「全個一如」関係であり、会社の評価が個人の評価に反映し、個人の評価が会社の評価を作る。だから同じ会社の人間がやっていることやその会社で起こっていることは、すべて他人事ではない。隣の部署が行っていることも「自分の仕事」であり、離れた拠点で行う仕事も「自分の仕事」である。
 こうした「全個一如」の教育をしないから、「自分は自分、会社は会社」「他の人間や他の部署のことは自分には関係ない」といった風土を産むことになる。仮に法律ではそうだとしても、世間の実体はそうはなっていない。これを証明したのがJR西日本への非難である。会社として速度超過を奨励していたわけでもないし、脱線しても良いから定時運行せよと指示していたわけでもなかろう。ミスが重なり、それを挽回しようとする善の心で冷静な判断ができなくなり、ついに惨事に至ったものである。他の全ての社員に責任があるとは言えないだろうし、他の社員が懇親会をするかしないかは事故とは関係ない。しかしそれは一蓮托生となって非難される。その現実を理解しておかなければならない。
 経営者も社員も「全個一如」という現実を知り、全てを自分のこととして仕事に取り組むべきなのだ。何かあった時に、「それは自分の仕事ではなく、他の人間の仕事なのです」とは言えないのだ。そしてこの「全個一如」は時間も超える。過去の事実も消すことはできない。JRが信楽鉄道の事故や国鉄時代のことを言われるのがその証拠である。一度できた全個一如関係は消すことができない。過去の全てを背負って「今、ここ」に生きているのだ。
 脱線事故が今後起こらないようにするために何が必要かは専門家に考えてもらうとして、我々が今回の事故から学ぶべきものは、会社とそこで働く個々人との重い関係であり、同じ会社で共に働くということの意味である。勤めた会社は一生、自分の会社であり、雇った社員は一生、自社の社員である。過去を消すことはできないのだ。

2005年5月

経営の道標3月

人材難・採用難が迫っている

 新卒の採用環境が完全に売り手市場に移っているようだ。ここ10年来、就職氷河期とか就職難などと言われていたが、昨年あたりから潮目は変わってきて、今年はどうやら採用難の幕開けとなりそうな感じがしている。大手企業の大量採用は日経新聞などでも報道されているからご承知の方も多いだろうが、やっぱり学生は「寄らば大樹」というか有名な企業しか知らないから、どうしても大手企業に流れてしまう。同時に大学の卒業生も急速に減ってくるから、中小企業にとっては優秀な新卒学生を採用するチャンスが益々減っていくことになるだろう。
 団塊の世代が定年を迎える中で団塊の世代jrは30歳を越えた。20代の数は明らかに減少傾向だ。更にフリーターとかニートとか定職に就かない若者も増えているから、正社員としてきちんと勤めようという数は減る一方だ。生産年齢人口は既に減少しており、総人口も来年には減少に転じるだろう。人口が減るということはマーケットが縮小するということでもあるが、人手も減るということで労働力不足社会の到来にも備えなければならない。
 そこで打つべき方策は大きく2つ。1つは、採用体制を整え人材確保を急ぐこと。2つ目は、頭数がいなくても事業を推進できるビジネス構造を構築することだ。新卒採用は、結果が出るまでに時間がかかるので早めに取り組まなければならない。2006年春の採用を今からやっても遅いから、次は2007年春だ。それに向けて準備開始すべきである。新卒採用は実績が次の実績を呼ぶものだから、若手の採用が次の若手を引き寄せる循環を作ることが肝要だ。優秀な人材を確保するためにはそれ相応の時間とコストがかかることを覚悟しよう。
 頭数を使わないビジネスへの転換は、IT化とロボット化とネットワーク化だ。ITによって人の手間を減らすことはまずやるべきことである。テレビ会議システムなどを上手に使えば営業マンがわざわざ客先を訪問する必要も減ってくる。拠点展開においても必要人員を下げることが可能だ。そしてそれはロボット化へと進んでいくことになるだろう。愛知万博でロボットの可能性について研究しておきたい。ネットワーク化は企業間のネットワーク化を指す。なにもすべてを自社でやる必要はない。必要な機能はそれが得意な他社の力を借りることを考えてみよう。これを「リンクソーシング」と言う。最適なリソースを社の内外を問わずリンクさせて活用していこうとするものだ。
 人口減少のマーケット不足・人材不足社会へと時代の転換が起こっている以上、若くて優秀な人材を確保することに力を注ぎつつ、頭数を減らしてもビジネスを成長させていける構造を実現させていくべきである。猶予はあまりないことを認識しなければならない。

2005年3月

経営の道標1月

2005年 乙酉(きのと とり)

 縮こまっていた経済や意識が、徐々に伸び上がりつつあるものの、その過程では関節がきしみ、勢いは弱々しい。秘めたエネルギーやパワーはあるものの、すぐには表に出ず、奮発する時を待つ段階。独立自尊の強さはなく、他の力に頼ったり、助け合ったりすることで、ようやく成長の道筋が見えてくる。回復基調ではあるものの、力強さがなかなか感じられない、忍耐の必要な一年となりそうだ。
 人口減少社会が目前に迫る中で、マーケットの変質が起こっている。公共投資の抑制も人口減少社会の必然である。人口が増え続けることを前提にしていた経済・社会が、人口減少を限定にしたものにシフトする時、大きなチャンスと大きなピンチが同時に訪れることになるだろう。人口が減ることでマーケットが縮小することも心配だが、すでに始まっている労働力人口の減少がジワジワと効いてくる方が影響は大きいかもしれない。ニートと呼ばれる無就業、無就学の若者の増加は国家の危機と言っても良いだろうし、若くて優秀な人材を確保できなくなる企業は、存続の危機となるだろう。
 今年のひとつの目玉は、3月から9月まで愛知県で開催される愛知万博(愛・地球博)である。ここでロボットの活躍が注目を浴びると思う。労働力人口の減少はロボットの増加によって克服せざるを得まい。ロボットと言っても二足歩行の人型ロボットではなく、工場で活躍する産業ロボットが、一般の家庭や職場にもその領域を広げるイメージだ。愛知万博では、無人のバスが会場内を巡回するそうだ。バスの運転手は将来必要なくなるかもしれない。となれば、自動車は目的地をセットすれば、自動で運転できるようになるかもしれない。というように、これまでどうしても人手に頼らなければならなかった分野において自動化(ロボット化)の動きが加速するのではないか。今年は、そうした未来への変革を準備する一年になるのではないだろうか。
 地震や台風、異常気象などの天変地異にも注意が必要だ。人や物の被害も避けなければならないが、対策の遅れが心配なのが、情報である。いざ何か起こった時に、必要な情報が保護され、難を逃れることができるようになっているかどうか、企業は今一度検討する必要があろう。人を失うことは悲しいことであり、人命が第一であることは間違いないが、ビジネスにおいて欠かせないのはその頭の中にある情報である。企業の社屋が倒れるのは困るが、直すことは可能だ。しかし社屋が倒壊して、コンピュータが破損してデータが飛んだら、取り返しが付かない。いくらお金を積んでも戻ってはこない。4月には、個人情報保護法も完全施行となるから、天変地異によって情報漏洩が起こってしまうのも困る。今年は、情報の共有、保護、退避、二重化などの備えが重要になるのではないだろうか。
 今年は戦後60年。戦後生まれも還暦を迎える。日本人のマインドや価値観も変わりつつあるのではないだろうか。21世紀に入って5年。20世紀の思考パターンやパラダイムが通用しなくなり、21世紀型の思考やパラダイム(人口減少や情報化、地球環境問題を前提として考える)が求められるようになるだろう。プロ野球ニュースで、連日「ソフトバンク」や「楽天」という名前を聞くことになるのも、意識変革の引き金になりそうだ。

2005年1月

経営の道標 年度別

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