代表長尾が語る経営の道標

弊社代表長尾の経営に関するメッセージを
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2008年版 経営の道標

経営の道標11月

想定外のマイナスにどう対処するか

 連日、上場企業の下方修正や破綻、再編の報道がなされ、サブプライムショックかリーマンショックか世界同時不況かと言われると、さすがにそんな気がしてくる。確かに、日々全国の企業を弊社のコンサルタントが回っていると、厳しい話を聞くことが多くなっている。「ここまで落ち込むとは思わなかった」「春先までは好調だったのに・・・」「まさかあの会社までが」と想定外の景気減速に戸惑う声が多い。はたして貴社はいかがだろうか。
 こういう時は、思い込み、先入観を捨て、現実を冷静かつ客観的に直視することが重要だ。目を背けたい現実を見なければならない。そうあって欲しくないという現実に耳を傾けなければならない。「そんなはずでは・・・」ということもあるだろう。「まさかそこまでは・・・」と見えない未来にすがりたい気持ちにもなるだろう。実際のところ、私自身もそんな気持ちだ。希望的な観測で精神的な安堵を求めたい。「そのうちなんとかなる」「今に回復するだろう・・・」
 しかし、現実は想定を超えて動いているのだ。この現実を踏まえれば、今後も想定した通りに行かない可能性が高いと見るしかない。希望的観測ではなく、過度に悲観的になることもなく、客観的な事実を積み上げて、打つべき手を打たなければならない。思い込みや思い入れを捨てて見てみると、どうだろうか、マイナスの状況を生んでいる素、低迷している元々の原因は、サブプライムローンの危機が叫ばれる前、リーマンが破綻する前、上場企業の破綻が相次ぎ、株価が下落する前から懸念されていたものではなかったか。少なくとも問題としては認識していたり、克服すべき弱点として気付いていたものではないだろうか。それがここに来て増幅され、ついに露呈した。そしてそれが想定の範囲を超えてマイナスに振れてしまった、ということではないのか。そのことに気付いたなら、原因は元から断たなければならない。ピンチをチャンスに変えるには、その原因に今こそ立ち向かわなければならない。
 想定外のマイナス状況に陥ったとしても、想定以上の環境悪化があったとしても、それが業績悪化や大きな問題につながったとしたら、そもそもその原因、真因は、社内にあったはずである。景気が悪くなったからと言っても全ての企業が倒産するわけではない。世界が不況でも自社は伸びているという企業はいくらでもある。世界経済を一社の力で救うことはできないが、社内の問題やその原因は制御できる。マイナスに気付けば、それを解決し、プラスに転じれば良い。
 自分たちの手に負えない大きな問題、環境悪化があるからと言って、そこで思考停止してしまい、自らの内にある問題や原因を見ようとしないのでは経営者失格である。マイナスが現われたことを改革のための良いキッカケだと思って(と言えるほど私自身も強くはないが)、手を打ちたい。
 来年では遅い。今すぐだ。じっと耐えていれば過ぎ去ってくれるほど今回の嵐は甘くない気がする。それでなくとも日本国内は人口減少で長期的にマーケット縮小だ。世界経済が復調しても、日本の内需の拡大はほぼ期待できない。現状、現場、現実を可視化し、実態に即していち早く手を打って欲しい。(私もそうする。)

2008年11月

経営の道標9月

日報ストロークで組織活性化

 いきなり手前味噌な話で恐縮だが、弊社で行っている「組織活性化セミナー」が好評だ。心理学のTAを応用し、社員の心の問題にメスを入れるというものであり、弊社が永年培ってきた日報活用にも適用している内容だ。今、企業には「うつ病」や「うつ一歩手前」や「うつモドキ」の社員が増え、組織内はギクシャクし、「不機嫌な職場」が増えているという。「うつ病」の人は病気なのだから、精神科医に診てもらうしかないし、私にはなんともしてあげることはできないが、「一歩手前」や「モドキ」の人たちには多少なりともご支援ができるのではないかと思う。
 TA(交流分析)では、相手の存在を認め、価値を承認する働きかけのことを「ストローク」と呼ぶ。これは別名「心の栄養」と呼ばれていて、人の心が健康でいるためには必須のものとされる。これが不足すると病気になってしまうわけだ。身体が病気になる手前のことを東洋医学では「未病」と言う。薬用養命酒のCMでおなじみだ。身体の健康を維持し病気になる手前で何とかするためには、養命酒を飲むといい。それと同じように心が病気になる手前で何とかするためには、「ストローク」を与えるといい。
 人は、認められることを求める。人から認められないと、自分でも自分のことを認められなくなり、最後は存在を否定することになってしまう。自分の存在を否定するようになった人は同じように他人の存在も否定するようになり、命を粗末に扱う。最後には病気になるだけでなく、自殺したり、周囲に害を与えかねない。そうしたことを避けるために、少し意識して「ストローク」を増やしてみると良いだろう。ちょっとしたことでも「ありがとう」と御礼を言う。気持ちの良い挨拶も相手の存在を認めている大切な働きかけだ。
 更に、企業組織でストロークを上手に増やしていくために「日報ストローク」を使う。日々書いている日報に対してコメントを入れることは立派なストロークである。これだといつも接している部下や同僚だけでなく、離れた拠点の人間にも与えることができる。おまけに記録が残るから、後でうまくストロークを出せたか見直すこともできるし、ストロークが下手な人には指導してあげることもできる。
 実は、我々が2000社ほど日報導入してきて感じることは、ストロークを与えることが下手な管理職や経営者が少なくないということだ。日本にはどうしても「あうんの呼吸」というか「言わなくても分かるだろう」という奥ゆかしさがあるから、相手を認め、承認する言葉や態度を示すのがヘタである。口に出して面と向かって言うのは特に難しそうだから、「日報ストローク」をおすすめする。これは「ラブレター方式」とでも言えるもので、面と向かって言うのは恥ずかしくても書いて伝えることならできるだろう、というものだ。これが案外うまく行く。
 仕事だから、時には叱ったりする必要もある。ストロークにはプラスとマイナスがあって、どちらも相手を認める働きかけだ。「日報ストローク」でもマイナスのストロークを出すことがあるが、これが冷静かつ客観的にできるのも「日報ストローク」の良さである。どうしてもマイナスのことを言う時は、腹が立っていたり、不機嫌だったりするから、相手の人格を否定したり、存在そのものを拒否する「お前なんか辞めてしまえ」とか「お前のせいでうちの部門は散々だ」といった言葉を発してしまいがちである。しかし「日報ストローク」は文字にすることで冷静に見直すこともできるし、後で読み返してまずい点を修正することもできる。
 多くの企業が日報を、部下を管理する「行動管理」のために使おうとしているが、それは間違いである。日報は部下を見守り、部下への関心を示す、「部下支援」のために使って欲しい。そうすれば多くの社員の心の健康を「未病」の状態で食い止めることができると思う。心の栄養が足りない社員が増えていることをお忘れなく。

2008年9月

経営の道標7月

エコ営業のすすめ

 暑い。毎日暑い。クールビズにしても暑い。夏だから暑くて当然なのだが、地球温暖化の影響もあるように思えてならない。夏生まれの私は、子供の頃から夏好きなのだが、ここのところの夏はどうにも好きになれない。
 この暑い中、スーツを着て顧客訪問する営業活動はさらに辛い。地方では営業車を使うことが多いが、都会では電車と徒歩だったりする。私も死にそうになりながら客先に歩いていくことがあるが、商談の前に力尽きそうになる。ネクタイを外したくらいでは大した効果はない。汗がダラダラ流れて商談どころではないから、コンビニで売っているペーパータオルを持参して、客先に着くとトイレに駆け込み身体中を拭く。そこそこの規模のオフィスビルだと一階にトイレがあるからいいのだが、トイレがないと困る。車(タクシー)で来れば良かった・・・と後悔するが、時すでに遅し。顔と首周りくらいを拭いてあとは我慢する。商談中、背中を汗が流れるのが分かる。嫌な気分だ。気分だけでなく、わざわざスーツを着て汗をかいておいて、ペーパータオルという余計なものを消費するのは地球環境のために良くないと思う。
 では、自動車を使えば良いではないかという意見もあるだろうが、それこそまさに高騰したガソリンを使い、CO2を排出することになるから、気分は良いが、地球環境のために良くない。夏は外気が熱いわけだから、自動車のエアコンもフル回転となる。公共交通機関と徒歩でもダメ。自動車もダメとなったらいったいどうやって営業すれば良いのか。
 極力訪問しない「エコロジー営業」(エコ営業と略す)を増やしたいと思う。地球にも優しいし、営業マンにも優しい。もちろん営業効率も上がる。移動しないのだから、ガソリンも使わないし、電車代もいらないので営業経費も下げられる。「エコノミー営業」でもある。「エコ営業」は一石四鳥の策だと言えるだろう。
 客先に訪問もせずにどうやって営業するのか?という疑問があるだろう。テレビ会議(テレビ電話)を使う。インターネット経由で簡単にできる。電話代も節約可能。お互いに顔を見ながら話すというよりも、カメラがついているから、商品や現場を見せたりすることもできるし、パソコンの画面を共有しながら話をすることができる。ただの電話とはやり取りできる情報量が格段に違う。もちろん通常の電話やFAXも活用すれば良い。メールやホームページも活用する。客先訪問もいきなりゼロにするのではなく、3回に1回を非訪問の「エコ営業」にするとか、「エコ営業」中心にシフトしても5回に1回はリアルに訪問するとかバランスを考えれば顧客の抵抗も少ないだろう。光ファイバーが届いている法人向けなら間違いなくシフトできる。個人向けは、あと数年はかかるだろうが、おそらくその頃には携帯電話で似たようなことができるようになるだろう。
 更に「エコ営業」では、営業部隊の分業も進める。例えば新規開拓のTELコールは専門部隊もしくはアウトソーシングしても良い。例えば休眠客、放置客の掘り起こしにはメルマガの配信を行う部隊をあてる。ホームページ上でセミナーや商品説明の動画配信をしても良い。リアルタイムで配信することも可能だから、専属の担当者を置いても良いだろう。このように分業しても顧客情報や商談履歴情報は共有され一元化されて管理されるから顧客に迷惑をかけることはない。かえって木目細かくフォローできて喜ばれることも多いだろう。
 「エコ営業」では、訪問を減らすことで、かえってコンタクト数を増やすことができる。従来の営業マネジメントは、とにかく訪問数を増やせ、行動量を増やせと営業マンの活動を増やす「量」ばかりを重視してきたが、今や人口減少で若くて優秀な営業マンはなかなか雇えない時代である。営業マンがいないのであれば、余計「エコ営業」にシフトせざるを得ない。若くて優秀な営業マンを苦労して雇って、夏の暑い日に汗ビッショリになりながら客先を無理矢理回らせるようなことをして、辞められてしまってはもったいない。
 「エコ営業」で時間に余裕が生まれた営業マンは、28度に設定された社内でクールビズの涼しい格好をして、提案書を作成したり企画を練ったりすることで営業活動の「質」を高める。
 「エコ営業」は、地球環境に配慮し、営業効率も上げながら、営業マンの確保と健康にも気を配り、おまけに営業経費も削減できるという21世紀型営業スタイルなのだ。是非、チャレンジしてみて欲しい。
 ≪「エコ営業」の本でも書こうかな・・・※出版社の方が本稿をお読みになりご興味がおありでしたらご一報下さい。良い原稿書きます(笑)≫

2008年7月

経営の道標5月

WLBからGLB(グッド・ライフ・バランス)へ

 ワーク・ライフ・バランスという言葉をよく耳にするようになってきた。仕事と私生活のバランスをとるべきだという主張であるが、その多くは働き過ぎだから仕事の時間を減らして私生活を充実させよ、という論調である。仕事ばかりしているとストレスが溜まり、うつ病になり、過労死や自殺が増えると言う。本当だろうか。仕事ばかりしているから、子作りができないし、出産や育児もままならないのだと言う。本当だろうか。
  私は違和感を覚える。
  そもそもワーク(仕事)とライフ(人生・生活)が同列に扱われて、そのバランスが問われていることに違和感がある。仕事は人生の一部であって、ライフの中にワークがある。だから「仕事か人生か」という問いは成立しない。人生を豊かにし充実させるためには仕事が欠かせないし、私生活が充実してこそ仕事に打ち込めるものである。一体なのだ。
  米国では、Work/Life Balanceと表記することもあるようだ。Life分のWorkであり、Lifeが分母でWorkが分子だ。「/」が入ると幾分違和感が減る。まぁこれは屁理屈というか言葉の揚げ足取りのようになるからこれくらいにしておこう。
  仕事のし過ぎでうつ病が増え、自殺が増えているという指摘は間違っている。実際には、1980年代あたりには2100時間程度だった日本の年間総労働時間は、2005年には1800時間まで減少している。その分サービス残業が増えていると言いたい人もいるかもしれないが、サービス残業は80年代以前にもあったわけで(むしろその時代の方が多かったかもしれない)、300時間の減少分がすべてサービス残業に置き換わっているとも考えにくいだろう。現実に、戦後長く週48時間制を原則としてきた日本企業も、1988年からは原則46時間となり、90年からは44時間、94年には40時間となり、猶予期間を入れても97年には原則週40時間制が当たり前になっていて、実際の感覚でも、昔は土曜日も出勤だったのが、土曜日は半ドン(懐かしいが既に死語である)となり、隔週土曜日休みとなって、今では土日の週休2日は一般的である。およそ20年をかけて、労働時間は減少してきているのは間違いあるまい。
  労働時間が長いとうつ病になって自殺が増えるというのであれば、この20年の間にうつ病や自殺者が減っていなければならないが、逆に増えて来ている。要するに相関関係はない。
  自殺者は1998年以降、それまで年間2万人前後で推移していたものが3万人前後まで増加した。時短の取り組みがひと段落したところから増加しており、労働時間が長いから自殺者が増えるというのは明らかにおかしい。
  仕事ばかりしていると子作りや子育てができないという指摘も、労働時間が減っても出生率は増えていないし、そもそも収入が少なくて出産や育児や教育に支障があるという所得格差問題はどうなのか、と言いたい。しっかり仕事をして収入格差を少しでも減らした方が良いのではないか、という議論もできるだろう。子供を産むかどうかという問題は夫婦間の微妙な問題であり、子供ができる家庭は、「あんなに忙しそうなのにいつの間に・・・」なんて陰口を叩かれるくらい仕事をしていてもできるわけだし、時間があっても「セックスレス夫婦」というのもあるだろう。こんなことまで国や会社にあれこれ言われて介入される方が余計ストレスを感じるのではなかろうか。
  そして、最も違和感を覚えるのが、このワーク・ライフ・バランスなるもののバランスを企業が主導して取るように言う点である。関連書籍には、企業側にもメリットがあると書いてある。定着率が高まり、社員の満足度が高くなり、企業のイメージアップにもつながるのだそうだ。「なんだ。結局、会社のためかよ」と感じる社員もいるだろう。大切なことは個々人が自律的に人生設計をし、自立して生きることではないのか。それを企業側が主導し、「こうやって生きるのがバランスの良い生き方だよ」と教え、条件を整えることで社員が「辞めたいけど、うちの会社は条件が良いから我慢する」と言って辞めない「社蓄」のような意識で定着してくれることが目的なのか。そんな取り組みは大企業にはできても中小企業には無理だし、あまりに姑息な手段ではないだろうか。重要なのは企業が社員の生き方を決めるのではなく、社員自らが人生を作るという意識なのだ。「会社に拘束されている」「うちの会社は○○だから△△できない」といった会社に生かされている、会社にコントロールされているという意識を捨て、コントロールを本人の手に戻すことが必要だ。
  私は、言葉の遊びという批判を覚悟して、Good Life Balance(グッド・ライフ・バランス)を提唱したい。仕事かプライベートか、私か公か、というバランスではなく、①地球、②国家、③地域(ご近所付合い)、④家庭・家族、⑤友人・恋人、⑥個人、⑦仕事、の少なくとも7項目のバランスをとってグッド・ライフを実現するのだ。現状のワーク・ライフ・バランス論議には、①から③までの広い公が抜けている感じがする。本人やごく身近な人だけが良ければそれで良いというような風潮があるから、気に入らないことがあるとすぐにキレたり、クレーマーやモンスターペアレントになったり、果ては誰でも良いから殺したいといった人間が出てくるのではないか。自分ももちろん大切だけれども、地球や国や地域や仕事も大切である。仕事はこの中で唯一、お金を生み収入を増やす。他の分野でも何かしようと思ったらお金はあった方が良いから、当然仕事をないがしろにすることはできない。但し一日は24時間で限りがある。それを全体のバランスを考えながら使っていくのは本人の自律的判断である。それを会社が操作してしまってはGood Life Balanceにはならない。最適なバランスは、自分自身でしか決めることはできないのだ。
  企業においてGood Life Balanceを考える際に大切なのは、もはや利益を生み出す源泉は社員個々人の頭の中に移っていて、その「頭脳工場」は社員のものであり、その工場のコントロールは本人にしかできないということを肝に銘じることである。自分の頭脳工場でいくらでも稼げる社員は、仕事の時間を短くしようと思えば、いつでも在宅勤務にしたり、他社に転職したり、自分でビジネスを始めたりできるのだ。そんな社員を操作することはできない。
  頭脳工場で価値を創出できる社員は、すでに自分が人生をコントロールできるわけだから、ワーク・ライフ・バランスに取り組んで、福利厚生や生活支援制度を充実させたからと言って特に喜んでくれたりはしない。
  Good Life Balanceの目指すところは、社員個々に企業の呪縛から離れ、自律的かつ自立的な生き方を実現していただくことである。そういう気付きを与える機会を企業が用意する程度なら良いと思う。しかし、企業が個人の人生にあれこれ口出しをすること自体に大いなる疑問がある。(主旨からは外れるが、メタボリック対策を企業の責任にするのも同様に疑問であるのは言うまでもない)
企業が社員の人生を保証したり、保障することなどもはやできないのだ。企業の方が先に亡くなってしまうかもしれないのだから。

2008年5月

経営の道標3月

採用にはビジョンの可視化が必要

 新卒採用も佳境に入り、すでに複数の内定をもらって余裕で企業選びをしている学生も少なくない。弊社でも、毎年2月、3月は毎週のように「企業セミナー」を開き、全国を回る。人生の新たなステージに挑戦する前向きな学生に出会うと嬉しくなるが、中には面倒臭そうな態度でやってくる学生もいたりするので残念な気持ちになることもある。彼ら、就職活動中の学生さんたちは、これから約50年は続くであろう社会人生活をどうデザインし、どう作っていくかを考えるべき大切な節目にいる。とりあえず面白そうな会社に入っておこうとか、有名な企業だからいいだろうという安易なことではいけないし、採用する側も頭数を揃えることを優先し、彼らの今後の50年がどうなるかを無視するような採用は慎むべきだと思う。
 弊社では、まず「今後50年間の人生を考えて欲しい」と訴える。そしてそれを前提にして、弊社の将来ビジョンをマップにして示す。将来像を地図にするわけだ。可視化経営における「ビジョンマップ」である。学生向けに「ビジョンマップ」を見せても理解するのが難しいかなと思って、これまでは中途採用でしか使っていなかったが、見せてみると思いの外、受けがいい。今、現在の会社がどんな会社かを説明するところは多いが、将来どうなるのかを具体的に示す会社は少ないようだ。これではいけない。何しろ彼らは、今後50年間ビジネスマン、ビジネスウーマンとして活躍していくステージを探しているのだ。
 そして大切なことは、その中で個々人がどのようなキャリアビジョンを持つか、どのようにしてキャリアアップし、プロとして通用する人材になるのかという道筋を示すことである。「ビジョンマップ」という地図の中に進むべきルートを示すわけだ。この時、会社はあてにならない。あてにしてはならない。その事実を伝えるべきだろう。会社が永遠で、そこに入社した社員を定年まで面倒を見るような時代は遠い昔のことであり、そんなことは現実問題として保証できないのだから、実社会を知らない学生に幻想を抱かせてはいけないと思う。仮に入社した会社が消滅したとしても、社員個人は実力を身に付け、キャリアビジョンを実現できるようなストーリーを地図に描かなければならない。そしてそれを可視化する。
 就職活動は当座の生活費を稼ぐためのアルバイト探しではない。人生をかけて全力を注ぎこめる対象や目的や使命を見つける活動である。そのために彼らに与えられた期間があまりにも短いのは申し訳ないが、一社だけでは改善することはできない。そこでせめて、人生の大切な節目を迎えようとしている彼らに、将来への道筋をわかりやすく提示すべきだろうと思う。彼らは自分の人生をかける対象を見つけようとしているのだから、企業の側も将来への決意を具体的に示すべきである。
 そして最後に自分の人生を決めるのは学生本人である。自律した企業選択を求めたい。自己責任なのだ。内定を乱発して囲い込み、拘束してまで採用しようというのは、彼らの今後50年を考えている所業とはとても言えない。
 拘束して採用しても、すぐに辞められては意味がない。ビジョンによって採用すべき時代である。将来ビジョンを可視化する地図を描いてみよう。そのビジョンに使命感や大義があれば、共感して「手伝いたい」「一緒にやりたい」と言ってくれる人が現れる。

2008年3月

経営の道標1月

2008年 戊子(つちのえ ね)

 戦い、紛争、新旧の激突を暗示する年回りらしい。ねじれた国会か、それとも中東か、オリンピックのある中国か、はたまた米国大統領選か。衝突や摩擦があれば、変化が生じ、そこから新しい動き、新しい芽も出る。地中から芽が出る春の兆し。新規事業、新規開拓、新分野挑戦の好機か。これまで地中で準備してきたはずの有事への備えが露呈する。いざという時になって慌てても時すでに遅し。水周りの障りも懸念されるそうだ。水害、豪雨、水不足。当たるも八卦当たらぬも八卦だが、備えあれば憂いなし。
 大発会から下げ相場となった波乱の証券市場。日本企業の足腰が弱っている、国力の低下が著しいなどと騒がれているが、未上場の中堅・中小企業はそうした話を言い訳にせず、我が道を突き進み、企業体質の強化に取り組んでいただきたい。人口減少によるマーケット縮小が避けられない国内では、楽して儲かることはない。景気が良かろうが悪かろうが、人口は減り、高齢化が進む。円高になろうが円安になろうが、原油が高騰しようが、サブプライムがどうなろうが、自社の商品・サービスに磨きをかけ、より多くの顧客を開拓する以外に道はなし。業績悪化の責任転嫁をしている暇があったら、どんな環境変化があっても生き残ることのできる経営をどうやったら実現できるかを考えるべきである。
 10月1日から松下電器が“Panasonic”に社名変更される。「ナショナル」ブランドもなくなる。経営の神様と言われた創業者の名前も捨て、まさに国民的な知名度を誇るブランド名も捨てて、海外シフトするシビアな経営を中堅・中小企業も見習うべきだろう。天下の松下も、人口減少の日本国内中心では生き残れないのが現実。世界中で評価され販売台数を伸ばしている日本車でさえ、国内では販売台数減少が続いている。マーケットシェアの低い中堅・中小では人口減少は言い訳にならないが、海外への展開も考えるべき時が来たのではないだろうか。このグローバル時代に『海外』などと書いていること自体が恥ずかしい。
 国内では、ワーキングプアや偽装派遣、サービス残業などが騒がれ、労働者保護が強化される気配だが、ますます富裕層、貧困層の二極分化が進んで行くだろう。保護しようとすればするほど、企業は正社員雇用を避ける。人口減少時代は人材不足時代でもあるから、優秀な人材は高くても欲しいが単純労働でのコストアップは許容できない。グローバルで戦っている以上、日本国内の事情だけで賃上げはできまい。生産や販売の海外シフトだけでなく、本社が海外へ移転するようなことになったら、それこそ日本の凋落が始まることになるだろう。海外に出ようが出まいが、我々は海外とつながっている。日本の強み、日本の良さを活かすためにも地球規模の視点を持つべきだろう。
 波乱の年、変化の年、挑戦の年になりそうだ。

2008年1月

経営の道標 年度別

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