代表長尾が語る経営の道標

弊社代表長尾の経営に関するメッセージを
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2022年版 経営の道標

経営の道標11月

DXの前にそもそも戦略はあるのか

 このところDXの話題が続いていて、別テーマに行きたい気分ではあるのだが、世間がDXブームに沸いているだけに伝えておきたいことがあり、今回もDXに関する内容となることをご理解いただきたい。決して、「デジタル人材がいない中小企業のためのDX入門」(KADOKAWA刊)を出したからと言ってDXを宣伝したいわけではないことを付け加えておく。読んでもらえると嬉しいが(笑)。
 日経新聞を読んでいると連日DXについて触れられた記事や広告が目に入る。デジタル、デジタル、デジタル・・・。様々な分野でデジタル活用の必要性が訴えられている。確かにデジタル活用は必要である。そもそも少子化、人口減少が進む日本では省人化を避けては通れない。ITやAIもしくはロボットを使った方が速くて便利で正確である分野はもちろん、本来であれば生身の人間が対処した方が良い業務や作業であっても、肝心の人がいない、確保できないのであれば、止むを得ずデジタルの力で省人化、無人化することを考えなければならない。
 そうした背景もあり、デジタル活用はもはや避けられない必然であり、DXなどという分かりにくい用語で特別なことのように喧伝するものではないと思う。だが、DXと銘打たなければ、本も出せないし、セミナーに人も集まらない。それでは伝えたいことも伝えられないのだから、DXと言わざるを得ないのだが、どうしてもD(デジタル)部分が目立ち過ぎてしまう。もはやデジタルは必然で、企業経営の前提条件のようなものだ。肝心なのはそれによってどうX(トランスフォーム)するか、デジタル活用が当り前の人口減少時代にどういう経営をすべきかである。
 すなわち、DXの前にそもそも経営戦略はあるのかということであり、どうX(トランスフォーム)しようとしているのかが問われるということである。そう考えれば、他社のDX事例を探して、「このツールを導入するとDX」「このソリューションを入れるとDXになる」といったツールありき、システム導入ありきのDX論議が間違っていることもご理解いただけるはずだ。
 自社に明確な経営戦略があり、それに向けてどうデジタル化を進めるべきかも見えているなら、ここで私がとやかく言う必要もない。しかし、多くの「デジタル人材がいない中小企業」では、デジタル人材もいないしDXをどう進めるかも見えていないのに加え、そもそもその手前の経営戦略が明確になっていないケースが多いように思う。その企業の先行きに希望の光が見えないのは、デジタル人材がいないからでも、DXがうまく行かないからでもなく、自社に勝ち抜くための戦略がないからなのだ。そんな戦略不在の企業がDXだ、デジタル活用だと騒いでも、せいぜい今やっている業務の効率化やコストダウンのためのIT導入くらいしかできないだろう。

デジタルを前提とした戦略立案の方法

 そこで、DX時代だからこそ改めて自社の戦略立案について考えてみて欲しい。デジタルを前提として戦略を考える際におすすめしたいのが「ブルーオーシャン戦略」だ。企業経営者なら聞いたことがない人はいないだろうが、「このマーケットはレッドオーシャンかブルーオーシャンか」みたいに、市場における競合度合いについて語る程度で、肝心な戦略立案方法についてはよく分かっておらず、もちろん使ってもいない人が多い。
 DXを進めようにもどこから手をつければ良いのか分からないという相談を良く受けるが、「ブルーオーシャン戦略」の「戦略キャンバス」を書いてみると、どこにデジタルの力を使うべきかが明確になるだろう。「戦略キャンバス」は、横軸に競争要因、縦軸に顧客価値レベルをとった二次元のグラフで表される。ここで大切なことが、ERRC(エルック)と呼ばれる視点である。同業他社と戦略が同質化しないように、4つの視点で競争要因を見直すというものだ。
 ERRCの4つの視点とは、
Eliminate:業界常識で備わっているべきものからすっかり取り除く要素はないか。
Reduce:業界標準と比べて大胆に減らす要素は何か。
Raise:業界標準と比べて大胆に増やすべき要素は何か。
Create:これまでの業界にない新たに付け加えたり創造すべき要素はないか。
というもので、取り除き、減らすのと同時に、増やしたり創造したりする。これを「戦略キャンバス」に反映させるとメリハリのある「戦略プロフィール」が出来上がる。これがキム&レボルニュの「ブルーオーシャン戦略」だが、これによって、取り除いたか減らした要素をデジタルで補うか、増やしたり新たに生み出した要素をデジタル活用によってより強く、高く、大きくするかを考えると良い。
 「戦略キャンバス」の検討を経て、デジタル活用を考えることで、他社のDX事例やITツールを自社にどう当てはめるかといった後追いのデジタル化の罠から抜け出すことができる。「戦略キャンバス」は簡単な手法で、キム&レボルニュの「ブルーオーシャン戦略」を読めばやり方は分かると思うので、わざわざコンサルタントに指導してもらうまでもなく使えて良いと思う。もちろん、NIコンサルティングに指導して欲しいと言われれば喜んでお手伝いするが・・・。
 そして、その「ブルーオーシャン戦略」により戦略性を増すために、考えておきたいのが、自社は何業かというドメインである。そもそも自社は顧客にどういう価値を提供する何屋さん、何業なのか。この問いが最初にあって、ERRCがある。自社が提供すべき価値が何かが明確になれば、それにつながらない要素は、思い切って取り除いたり、減らしたりすることができるからだ。取り除いたり、減らしたりする要素があるから、増やしたり創造したりする部分に注力できる。これらをデジタルでどう実現するか、どう加速させるか、どう広げるかを考えると、自ずと戦略的なDXになる。
もうすぐ2023年がやってくる。DXブームに飛びついて、手段としてのデジタルに振り回されるのではなく、経営戦略の見直しからDXを考え、来年の自社の構想を描いていただきたい。

2022年11月

経営の道標9月

ノーコーダー(No Coder)を養成せよ

 DX(デジタルトランスフォーメーション)について、この経営の道標でも何度か取り上げて来た。これからの企業はデジタルを活用し使いこなして行かなければならない。だからこそDXがブームのようになり、IT業界もコンサル業界もマスコミもこぞってDX、DXと喧伝しているのだろう。私もそうだ。
 そもそもDXなどという日本人には理解しにくい言葉を遣う必要もないし、そんなことを言われなくてもデジタル活用は必要なのだからやれば良いだけのことである。しかし、今や、「デジタル化」とか「デジタル活用」などと言っていると遅れている、もしくは程度が低い感じで、「DXを知らないのか」とか「それはまだDXとは呼べない」などとバカにされるような風潮すらあって、仕方なくDXという用語を遣っているのだという言い訳を先にしておきたい。
 さて、そのDXだが、単にITツールを導入し、ペーパーレスにしてデジタル化を進めるといったことではなく、デジタルを前提として企業そのもの、経営の在り方から変えて行こうとするものである。そうでなければわざわざDXなどと呼ぶ必要はない。だが、この辺りがごちゃませになっていて、DXを進めるためにはまずデジタル化から進めなければならないと言われたりすると、結局、単なるアナログからデジタルへの置き換えのような話になり、それでDXをやっている気にもなって来るから注意が必要だ。
 特に、デジタル人材もいない中小企業では、何がDXで何がIT化なのかといったことも峻別できず、右往左往している企業が少なくないように思う。そこで、そうしたデジタル人材もいない、中小企業(資本金1億円未満・従業員300名未満)に対象を絞って、「デジタル人材がいない中小企業のためのDX入門」(KADOKAWA)という本を書いた。
 詳細は本を読んでもらうとして、特に言いたいことは、中小企業にはDXを推進できるデジタル人材などいないということだ。採用もできない。ちなみに、中小企業をバカにしてそんなことを言っているわけではない。大手企業だってDXを推進できるような人材などほぼいない。だから今、IT業界やコンサル業界はDXテーマの仕事が溢れかえって人手不足になっているのだ。要するに、大手でもIT企業でもコンサル会社でも、DXを推進できるようなデジタル人材は不足している。そんな状況で、中小企業にデジタル人材など来るはずがないだろう、ということだ。
 どんなDXの本を読んでも、DXのセミナーを聞いても、「デジタル人材が必要です」「デジタル人材が不足しています」とは言うが、「デジタル人材など来ない(いない)」と断言していない。出来もしないことを何とか努力して頑張りましょうみたいな話でお茶を濁すから、いつまでも「うちには人材がいないから」「デジタル人材がいないと無理」などという言い訳が成り立つことになる。
 単なるITツールの導入やアナログの業務をデジタル化するといった単発のDXもどき程度なら可能かもしれないが、デジタルを前提として企業そのものを変えて行くような本来のDXを推進する人材が普通の中小企業にいるわけがない。いや、もしかしたらいるかもしれない・・・などと万に一つの可能性に賭けるみたいなことを言っていてはもはや企業経営ですらない。
 中小企業にDXを推進できるようなデジタル人材はいないし、採用も出来ない。この前提で腹を括るべきである。その上でどうするべきかを考えるのだ。デジタル人材がいないとDX出来ないと言いたいのは、コンサル会社かIT企業ではないのか。デジタル人材がいなかったらデジタル活用しなくても良いならそれで良いが、そうではない。やるしかないのだ。デジタルは、これからの企業の前提である。人がいようがいまいがやるしかない。この現実を直視すべきである。
 ではどうするか。他のところでも提言しているし、本にも書いているのだが、プログラミングを必要としないノーコードツールを使いこなす、ノーコーダーを養成するしかない。大切なことはコード(プログラム)が書けることよりもどういうビジネスモデルにするか、どういう業務プロセスにすべきかを考える力である。これは現場の知恵と顧客の声を聞くことで何とかなる。いきなり完璧でなくても大丈夫。なぜならノーコーダーだから、ダメなら直せば良い。ダメなら直してまたやってみる、試行錯誤が出来ることがノーコーダーの強みだ。これを自社内でやるからDXが進み始める。要するに、戦略実行をデジタルの力で推進し、PDCAを自社内で完結できるようになるということだ。
 プログラムを書いて綺麗なシステムにするのは、ノーコードの限界まで自分達で到達した後でいい。それなら外部の業者を使っても良し。どんな最新の、素晴らしいシステムが導入されても、それが外部ベンダーに依存し、何かあったらその業者に依頼しないと調整もできないようでは、それは単なるシステム導入であって、DXではない。
 DXとは、終わりのないデジタル活用の習慣である。当たり前のようにデジタルを活用し、毎朝歯を磨くようにデジタルツールを磨き上げて行く。いちいち外部の業者に手伝ってもらわないといけない会社は、歯を磨くのに、いちいち親が手伝わないといけない子供のようなもので、歯が磨ければ良いというわけではない。その子が自立して成長していくためには、自分で歯を磨けるようにならないといけないのだ。
 中小企業にお勤めのシステム担当の方の中には、ここまで読んで気分を害しておられる方もいるでしょう。上記の内容はあくまでも一般論であって、例外的にすごい人はいるものですから、それが貴方なのでしょう。しかし、私は35年ほど企業経営の現場を見て来て、普通の中小企業にDXを推進できるデジタル人材などいないと確信しています。
 もし、そんな人がいたらその会社を辞めてDXコンサルタントになることをおすすめします。NIコンサルティングと協業しましょう。元の会社も支援しつつ、他に10社、20社と支援の幅を広げて行けば良いでしょう。一般の中小企業では、そんなデジタル人材がいても持て余してしまいますから、今お勤めの会社にも迷惑はかけないと思います。
 ということで、デジタル人材がいない中小企業は、「人材がいない」「予算がない」という言い訳を捨てて、ノーコーダーを養成すべし。当然コストも抑えられるので、その分、ノーコーダーの給与を上げてあげましょう。

2022年9月

経営の道標7月

2024年の人事採用戦略

 2023年4月入社の新卒採用が終わったと思ったら、すでに2024年4月入社の学生に向けたインターン募集が始まっていて実質、採用活動がスタートしている。だが、果たして現時点で、2024年の組織体制や人事政策、それに向けた採用戦略を自信を持って立てられる企業がどれだけあるのだろうか。例年のことだからとりあえず採用活動をスタートしておこうという企業も多いだろうが、毎年やっていることをただ繰り返すだけではうまく行かないと思うので、ここでちょっと立ち止まって2024年の人事や採用の在り方を考えてみると良いだろう。もちろん、2024年4月に向けて初めて新卒採用に取り組む企業は、今のうちから戦略を練っておかないと学生から相手にもされないことになりかねないので、やはり良く考えてから着手すべきだろう。
 2024年には、日本で新札が発行され、世界ではグレートリセットなるものが行われるのではないかと言われている。そこで何が起こり、自社にどういう影響があるのか、明確に予想できる人はいないだろう。今、日本では低金利が維持されているが、世界中では金利を上げているわけで、日銀総裁が代わる2023年以降も低金利が維持できるのかどうか、これも怪しい。円安で輸入インフレが起こって国民の不満が爆発し、焦って金利を上げたら企業の借入や個人の住宅ローンで金利負担が増して破綻が続出してしまうという漫画のようなシナリオは避けて欲しいが、円安のままで、日本が安い国であり続けたら、優秀な人材は外資や海外に持っていかれてしまわないか。
 そして、そんな心配をしている間に、またパンデミック騒動でもやって来たらどうなるだろう。コロナはもう8波、9波と来ても大したことにはならないかもしれないが、サル痘だ何だと新しいウイルス感染が拡がったら・・・と心配は尽きない。地震もある。。。戦争が起こるかも。。。キリがないのでこれくらいでもう止めておこう。

 新卒採用にせよ中途採用にせよ、そもそも若年人口がピーク時の半分近くまで減って来ていて若くて優秀な人材を採用するというのは年々難しくなっている。おまけに今は、新卒で入社してもすぐに転職サイトに登録するような時代だ。テレビをつければ転職サイトや転職エージェントのCMがバンバン流れていて、ネットを開いてもまた転職サイトの広告が追いかけてくる。ちょっと試しにと、転職サイトに登録でもすれば、すぐに企業側からスカウトメールがバンバン届く。今や、新卒採用のお手伝いをして散々儲けているはずのリクルート社までがダイレクトスカウトに参入。学生諸君に、「自分探し、仕事探しが大切だ」と煽り、企業側に「御社の人材採用はお任せください」と言って採用(就職)させておいて、入社したらすぐにリクナビネクスト、ダイレクトスカウトで転職のすすめ。。。。。特に気に入らないのが、松坂桃李と中尾明慶が出て来るCMで、「転職って考えてる?」と上司か先輩らしき人から中尾明慶が聞かれ、「今、評価されているし、まだ・・・」と答えると、松坂桃李が出て来て「さらに評価してくれる企業があるはず」と転職を促すというものだ。転職仲介をビジネスにするなとは言わないが、「仕事が合わない」「頑張っても評価されない」「待遇に不満がある」といった今の会社に不満があり転職したいという人を狙えよ、と思う。それがそもそも新卒採用もビジネスにしている企業の道理だろう。
 リクルート社が嫌いなわけではない。好きでもないが仕方ないから使ってもいるし・・・。人材系の会社は他にもいろいろあってリクルート社だけではないわけだが、業界の雄としてもうちょっと考えた方がいいのではと思う。とまぁ、いろいろ言いたいことはあるが、これが今の現実であり、頑張って採用しても人はずっと自社にいるとは限らない。新卒にせよ中途にせよ、すぐにても転職を考えたいと言うような腰掛け人材に教育投資するのも考え物である。これからの組織、人事をどするべきか、どういう採用をしていくべきかしっかり考えておかなければならない。

   そこでどうするか。思い切り待遇を良くして外資とも戦いながら優秀な人材を獲得するか、人がいなくても回る、誰でも出来る仕事をこなせばOKの仕組みを作るかの二極分化するしかないだろう。新卒でも入社後すぐにバリバリ活躍するくらいの人材なら高い給与を払えば良い。だが、ビジネスマナーをゼロから教え、大した仕事も出来ないのに、転職でもしよっかな~と腰掛け気分でいるような中途半端な人材はいらない。それなら非正規でもフリーランスでも、オール在宅でも、決められた仕事を指示したようにやってくれる人材を使った方がコストも安いし、景気変動、業績低下にも耐性がある。
 前回、5月の経営の道標にも書いたが、私の会社では社員を株主にする「オーナー社員」「社員株主」を増やそうとしている。従業員持株会の奨励金を従来の3倍に引き上げ、最終利益から配当が出て、株価も上がって資産形成も出来る。現状、社員の8割が何らかの形で株を持っており、今後その株のシェアも上げて行く計画である。自ら株を持って、自発的かつ自律的に仕事に取り組もうという人材だから、そこに報酬や配当が流れるのは問題ないし、他の株主も、無駄に報酬を増やすよりも配当で分配する方が納得感があるだろう。
 それと同時に、「省人数経営」と呼んでいるのだが、ITやAIを駆使して、より少ない人数でより多くの仕事をこなせるようにする体制を作っている。まさにDX(デジタル・トランスフォーメーション)と言えるだろうが、それによって圧倒的な生産性の高さを実現出来る。それで当然利益が出るから、また配当が増えて省人数で頑張って生産性を上げてくれた人材に利益還元が出来るという仕掛けだ。
 こうしたことを実現して行くには、経営の在り方、持株比率の考え方、事業承継、ビジネスモデルやデジタル活用といったことから見直し、それに合った人事や採用の在り方をどうするべきかを決めなければならない。これから2024年までの間、世界情勢や経済環境が大きく変化する可能性も高いので、それにも耐えられるように組織や人事をどうするか、今からしっかり考えて手を打っておくべきである。決して惰性で人事や採用を考えてはならない。

2022年7月

経営の道標5月

人的資本を語る前に企業の実体を知ろう

 人的資本経営という言葉をご存じだろうか。ざっくり言えば、人材への投資が重要であり人材こそが成長の素(資本)だという主張である。企業には人的資本への投資が促され、上場企業にはその開示が求められるということで、俄かにバズワードとなっている経営用語である。人材の重要性はもちろん認めるが、果たして人的資本なるものを金額もしくは数字で正しく表すことができるのだろうか。はなはだ疑問である。
 人的資本への投資が必要だとされる背景には、今の企業収益の源泉が有形資産から無形資産にシフトしているという事実がある。それは正しい。特に、日本企業は無形資産への投資が少なく有形資産の比率が高くなっていると指摘されている。ちなみに、無形資産とは、ソフトウェア、ノウハウ、特許・商標、デザイン、知識・技能、ブランド、ビジネスモデル、顧客データなどのことを言い、全く財務諸表上に表現されていないか、されていてもその無形資産を獲得する際の人件費や経費が計上されているだけで、その資産価値を正しく表してはいない。
 とするならば、そもそも無形で、数値化もされていないのに、何を根拠に多いとか少ないと言っているのかという疑問が生じる。一般に、時価総額から有形資産額をマイナスしたものが無形資産であるとされる。本当だろうか? 分かりやすいのが、企業買収時の「のれん代」だ。買収価格と簿価(純資産額)との差額が「のれん代」である。よく分からないから差額で表してみました・・・という程度のものではないか。被買収企業の簿価よりも高く買おうと考えた差額が一定の価値(すなわち無形資産・のれん代)を表していると考えるのは一面の真理を反映させたものではあるが、買収価格の決定にはその時の経済環境や買収における競合状況、自社の懐事情など様々な要素が影響しているはずで、単に差額が無形資産としての価値を示しているとは言い難いのではないか。その証拠に「のれん代」として計上された価値がすぐに毀損してしまい、一体あの買収価格は何だったのか、となっている企業が少なくないことを指摘しておきたい。  また、欧米企業や中国企業は無形資産が大きく、日本企業は小さいという指摘も、実は、欧米企業の時価総額が高く、日本企業の時価総額が低いが故のことではないか。無形資産そのものは把握できていないのだから、無形資産が大きいから時価総額が高く、無形資産が小さいから時価総額が低いままだという指摘は因果関係が怪しい。時価総額は成長期待など別の要素も含めて決まっているわけで、時価総額が高いから無形資産が大きいということにしないと説明がつかず、時価総額が低いから無形資産が小さいのだとしか言いようがない、となっている可能性も高い。
 ともかく、無形資産というのは金額もしくは数字で正しく把握することも財務諸表に表すこともできていないものであるということを先に押さえておく。

 そこで、人的資本の話に戻ろう。人的資本が重要だとされるのは、無形資産が大切だからである。なぜなら無形資産を生み出し、保持し、活用して収益を生み出すのは人だからである。そういう意味では、人は究極の無形資産とも言える存在である。人間として形はあるが、人材としては流動し、決まった形がなく、企業は所有することができない。他の無形資産は形はなくても、その価値が正しく把握されているかどうかは別にして、知的財産権として企業に所有権が認められているし、売買も可能だ。
 だが、人がいなければ無形資産を生み出すことはできない。だから人的「資産」ではなく人的「資本」と呼ぶのだろう。会計学の学者ではないので、資産と呼ぼうが資本と呼ぼうが、どちらでも良いが、人材の価値に金額をつけることができるのか? 金額をつけたとしても、所有もできず、売買もできず、本人が辞めると言ったら消えてなくなるし、逆に、消えて欲しくても辞めてもらうこともできないのに? そんな不自由なものに投資する勇気があるのは、自分の身銭を切るような覚悟で人を雇ったことのないサラリーマン社長か、直接雇用するわけではない投資家や金融マンだけなのではないか。
 未上場、非上場の経営者、一般の中小企業経営者は、グローバルスタンダードとして示されるあるべき論に振り回されないようにすべきである。無形資産が利益の源泉であり、大事なものであることは間違いないが、有形資産は、担保にもなるし売却することも容易だ。投資した金額に応じた価値を確実にもたらしてくれるのは有形資産である。無形資産は、金を注ぎ込んでもそれに見合う価値を生むかどうか不確定である。その無形資産を生む人的資本はさらに不確実な存在である。だが、競争優位性の源泉はその無形資産である。さて、そこでどうするか。

 人材を資本家(オーナー)にする社員株主化、従業員所有型企業へのシフトを進めるべきである。人は、他人から言われて義務感で取り組んだり、受けたくもない講義を無理矢理受けさせられても、身にはつかないし、うまく行っても与えられたものが分かる程度のことである。すでに形があって教科書のようなものもあり、誰かが教えてくれるようなことが分かったからと言っても大した価値はない。
 大切なことは自律と自発であって、価値のある無形資産を生むような人は、他人から言われなくても自分で調べたり試したりするし、教わるのを待つのではなく自分で勉強したり研究するものだ。そういう人にはどんどん投資(支援)すれば良いが、金だけでは動かないのがそういう人材のややこしいところだし、金で釣ろうとすると創造性が低下するという研究は何十年も前から多数報告されている。
 人が自ら発働し、自律的に動くために必要なことは、共感できるミッションやビジョン、最近の言葉で言えばパーパスである。ミッションやビジョン、パーパスに共感してもらえたら、出資してもらい株主になってもらおう。少額でも良い。自らリスクをとって(身銭を切って)ビジネスに関与することが重要だ。従業員持株会があるとやりやすいが無くてもできる。もし、1円たりともリスクを負いたくないと本人が考えるなら、ミッション・ビジョン・パーパスへの共感が薄かったということだ。
 ちなみに、ハーバード大学のレベッカ・ヘンダーソンは「資本主義の再構築」(2020年)の中で、これを「従業員所有型企業」と呼び、資本主義再構築の処方箋として示した。「なんだ、ハーバードの受け売りか」と思われてはいけないので、一応書いておくが、2008年に出した拙著「すべての見える化で会社は変わる」(実務教育出版)の中で元々提唱しているものである。ハーバードの10年以上前だ(笑)。
 自ら株主(オーナー)になり、主体的に仕事に取り組もうとする人材には投資しても良いだろう。従業員が株主になれば会社は誰のものかなどと議論する必要もない。これこそ資本主義の新しい形と言っても良い。そして、利益が出れば配当でも還元する。経営状態はもちろん開示する。と言うと、中小企業のオーナー社長の中には「それは出来ない。社員に経営状態を見せたくない」と嫌がる人もいるだろう。それはそれでオーナーの意向だから仕方ないが、もしそんな考えなら無形資産を生むような人材を求めてはいけない。人的資本などという耳障りの良い言葉を遣わない方が良いだろう。自分の所有物でもない「他人」をなるべく安く駒のように使ってやろうと考えるなら、どうせ裏切られることになるから、金さえ出せば裏切らない有形資産に投資した方が良い。土地も建物も機械も黙って言うことを聞いてくれて、用がなくなれば売れば良いのだから。
 教育研修費や男女比、国籍構成、離職率、平均勤務年数といった数字や金額で人的資本を語ることは出来ない。表面上の数字を飾ったところで、その企業の人材が無形資産を生んでくれるとは限らない。本気で人を大切にし、自律的かつ自発的に仕事に取り組む人を増やしたいなら、企業の実体とは何かという根源的な問いに向き合うべきである。
 企業の実体は「人」であり、「人」のネットワークが企業である。企業を分割して行くとその最小単位は「人」であることに気付くだろう。企業に「会社くん」や「企業さん」はいない。個々のAさんやBさんがいるだけである。企業の意思決定は「人」が行う。企業行動とは「人」の行動の総和である。「人」への投資を決めるのもまた「人」である。そしてその「人」はすべて企業の所有物ではなく、貸借対照表にも載っていない。「人」に支払った報酬が損益計算書に載っているだけである。企業は「人」であり、「人」が企業である。だが、企業に「人」はなく、「人」は独立した個人である。色即是空、空即是色。
 人的資本経営などという絵空事に惑わされてはならない。高い価値の無形資産を生んでくれる人材を本気で増やしたいと考えるなら社員を株主にせよ。リスクをとり自ら動く「人」のネットワークを形成すべし。

2022年5月

経営の道標3月

DXの本質は限界費用ゼロの武器を使いこなすこと

 1月の道標でも触れたが、DX(デジタルトランスフォーメーション)ブームがさらに加速しているように感じる。デジタル化が遅れ、アナログ業務の負荷で疲弊している企業現場も多いし、日本企業の生産性の低さはずっと指摘されていることだから、DXに取り組もうとする企業が増えることは望ましいことだが、一過性のブームのようにすぐに熱が冷めてしまわないかと心配にもなっている。
 「これがDXだ」「DXの事例だ」と言いながら、紹介されているのは、どうしても、単発のIT導入、システム導入の成功例が多いのではないか。事例だからそれは仕方ないのだが、それを見た側は、単発のIT導入でいいのだと勘違いしてしまっているようだ。DXとは、デジタルの力を活用してビジネスモデルや業務プロセスを変え、競争優位性を高め続ける終わりのない取り組みだ。一度何かのシステムを導入して業務が改善されたからと言って、それでDXが成功したと考えてはならないのだ。
 もはや、ビジネスにデジタルを取り込むことは避けて通れない。デジタル活用が当たり前であり、それが習慣のように定着してこそ、トランスフォーム(変態)が出来ていると言えるだろう。
 当たり前になり習慣になるとはどういうことかというと、その組織に適切な風土や文化が醸成されるということだ。
 工場に製造機械を入れたことに置き換えて考えてみると良い。トヨタが使っているのと同じ製造機械を導入したとしても、トヨタ生産方式が再現できるわけではない。その機械で処理する工程はトヨタと同等になったとしても、その前後のラインが旧態依然としたものだったら、ライン全体の生産性は上がらない。一つのラインすべてをトヨタと同じ製造機械で揃えたとしても、そこに流れる部品数量や品質、職場の人間の意識が違い、機械のメンテナンスの頻度も違えば、やはりトヨタと同じ品質と生産性が実現できるわけではない。機械だけでなく、KAIZENとかJITとか視える化といった風土や文化が必要なのだ。
 これと同じことをDXでやっていないだろうか。どこかの会社でうまく行った、生産性が上がった、効率が良くなったというシステムを自社にも導入したとして、それだけで同じような成果が出せるのだろうか。その業務の効率が良くなったとしても、その後工程の効率が悪ければ滞留が起きないか。業務の生産性が上がってその作業に要する時間が短縮されたのに、元々いた人員がそのままいて、ただ作業が楽になっただけなら、結果としてコストは大して下がっていないのではないか。
 機械の導入だけでトヨタ生産方式は成立しないように、DXも、システムの導入だけでは成立しない。そこにデジタル活用が当たり前でありデジタルの価値を引き出すことを全員が考える風土や文化が醸成されなければならない。そのためには、DXの本質は限界費用ゼロの武器を手に入れることであり、限界費用ゼロでビジネスを拡大していくことなのだと理解し、それを全員が目指している必要がある。
 一般に、デジタル活用で注目されるのは、情報の伝達スピードが上がり、転記や二度手間が減り、自動化が進むといった点だろう。こうしたことは効果として分かりやすいし、生産性向上、効率アップに有効であり、今やっていることが速くなったりミスが減ればデジタル化の価値があったと言えなくはない。
 だが、こうしたデジタル化は、今やっている業務範囲、コスト分の中での改善にしかならない。今の業務が速くなり、今かかっているコストが減るだけだ。しかし、デジタル化、DXが本当に効果を発揮するのは、コストダウン分野ではなく、客数、件数、業務量が増えても限界費用がゼロに近いから比例してコストが上がらないところにある。限界費用とは分かりやすく言えば変動費のことだが、これが小さいから、客数や件数が増えれば増えるほど急激に収益が上がるわけだ。さらにこの時、変動費が小さくても実際には固定費がかかっている。システム投資や人件費などは固定費だ。だがその固定費も、どんどん客数が増え、件数が伸び、業務量が増えてもデジタル(自動で人手を介さず)処理ができる(スケーラビリティが高い)から、一件当たりの固定費負担が減る。そうすると最終的には、固定費も無視できるレベルになる。1億円の固定費がかかっていても、1億件の取引があれば、1取引のコストは1円であり、ほぼ無視できる、というように。
 だから、何億人、数十億人を相手にしているグローバルIT巨人は、圧倒的な収益力を誇っているわけだ。逆に言うと同じ仕組み、同じシステムを導入しても、客数や件数が少なければ収益性で負けてしまうことになる。IT巨人と同じレベルで戦う必要はないが、規模の小さい企業はここにDXの落とし穴があることを意識しておかなければならない。せっかくデジタル化し、DXを実現したかに見えても、そこでの処理量・業務量が小さければデジタルの特性を生かし切ることが出来ないのだ。
 したがって、DXを一過性のものではなく、当たり前の継続的な取組みにして行くには、デジタルの力で客数なり件数を増やすことを常に意識することをその組織の風土や文化として定着させるべきである。DXの本質は限界費用ゼロの武器を使いこなすことなのだ。これだけ言えば、単発のIT導入では足りないことはお分かりいただけただろう。一度導入して終わりではない。そこからデジタル技術やデバイスの進化にも対応しつつ、顧客価値を高める仕掛けを次々に繰り出して行かなければならない。継続的に生産性、収益性を高めて行く企業体質を作ろう。それがDXである。

2022年3月

経営の道標1月

2022年 壬寅(みずのえ とら)

 新しい時代の胎動。土の中から芽が出てくるかどうか。2年以上続いているコロナ禍に耐え忍んで来たことが、次の一手につながるかどうか。今年は、これまでの常識に囚われず、過去の延長線上で動くのではなく、新たな挑戦を始める年にしたい。コロナパンデミックで抑え込まれたパワーをプラスに活かして爆発できるかどうかが問われる。
 「メタバース」を知らない経営者は、急いでネットで情報を集め、Facebookが社名を変えた経緯を調べよう。そして、メタバースが普及し、多くの人が自分のアバターを通じて「別の世界」でも生きる時代になった時、自社のビジネスがどう変わることになるかを想像してみると良い。想像もできなかったら、自社の若手社員の中にもいるであろうゲーマーの若者に、「10年後にどうなっていると思う?」と聞いてみると良い。若者には嫌がられるだろうが、ゲームの画面を見せてもらっても良いだろう。やってみなくても良いが、こういう世界がすでに存在していることは知っておいた方が良い。
 コロナパンデミックによって強制されたテレワークで、すでに多くの企業がネット経由、パソコンやスマホの画面越しに、リアルに人とは会わずに仕事をする体験をしている。どうしてもテレワークできない企業もあるだろうし、人と人との触れ合いというリアル世界でしか味わえない体験があるのも当然だが、案外ネット経由でも問題ない、直接会わなくても進めていける、わざわざ会社に行ったりしなくてもできて良いという仕事があることにも気付いているはずだ。
 こうした時代の変化、働き方や生き方の変化、社会の在り方の変化の胎動がすでにある中で、自社はどうあるべきか、自分はどう生き、どう仕事をするべきか考えてみなければならない。急に変わることはないが、必ず変わる。インターネットが出て来た頃のことを思い出してみると良いだろう。それから30年近くが過ぎようとしているが、今やインターネットを使わずにビジネスはできないし、知らず知らずのうちにネットにアクセスしたりさせられたりしている。急には変わらなかったが、ジワジワと確実に変化し進化して来たことは間違いない。
 メタバースも急に今年や来年で世界を変えるようなことにはならないだろう。しかし、だからと言って無視して良いわけではない。苦手意識を捨て、長期的な展望を持って検討してみていただきたい。
 この一年、短期的に考えると、デジタル人材、できればデジタルネーティブ(ネットは当り前で気付いたら自分のパソコンがありましたという若者)を採用したい。いっそ出社もせずテレワークとなれば引きこもり気味のゲームオタクでもパソコンオタクでもOKだ。なんとか、外注、業者発注ではなく、自社内でデジタル化を進められる体制を作りたいところだ。
 とはいえ、世間ではDX(デジタルトランスフォーメーション)ブームで、デジタル人材は引く手あまたとなっており、IT企業でも有名企業でもない普通の中堅・中小企業では採用は難しいだろう。そこでおすすめしたいのが、コンピュータプログラミングを必要とせずシステム構築を可能にするNo Code(ノーコード)ツールの活用だ。Codeとはプログラミングのことであり、No Codeとは要するにノンプログラミングでできるシステムだ。
 これなら、プログラミングができるデジタル人材ではなくてもチャレンジできる。大切なのはプログラミングではなく業務設計であり、発想の転換だ。逆に、いくらプログラミングが書けても、誰かに指示されるか設計書がないと書けないようなら、分業体制のない一般企業では使い物にならない。自社の業務を知っていて、自分で考え、創意工夫できる人材ならプログラミングなどできなくて良い。これがNo Codeだ。
 もちろん、プログラミングを書かないわけだから制約もあるが、なぜ自前のデジタル人材、自社内でのNo Coderであるべきかというと、スピードの圧倒的な違いだ。戦略の仮説検証スピードと言っても良いし、システム構築のPDCAと言っても良いが、戦略の見直しにせよシステムの見直しにせよ、いちいち外部の業者を呼び、見積をとって、仕様について打ち合わせして、そこからシステム開発して・・・とやっていては時間がかかり過ぎる。時間がかかるということはコストもかかるわけで、そんなことではこのデジタル時代を生き抜くことはできない。
 多少見た目が悪いとか、やりたくてもできない機能があるといったことがあっても、自社でカタチにしてみて、動かしてみて、どう改良すべきかが見えたら、その時点で自社では作れないシステム構築部分を外注しても良いだろう。一番ダメなのが、外部の業者に丸投げし、完全依存してしまうことだ。自社のビジネスのコア部分を外部に依存したら、自社の競争力が落ちて行くことは自明だろう。今やデジタル活用も自社のコアであり、デジタルなくしてどんなビジネスも成り立たないのだから、そのコア部分を外部に完全依存してしまっては、いずれ衰退への道を歩むことになる。
 今年は、デジタル化に自社主導で対応して行く企業とデジタル化を諦めて他社に依存する企業の二極分化が進む一年になるだろう。IT導入、システム導入、外部委託しているだけでは、デジタルを武器にできない。デジタルを武器にするためには、自前でデジタル化を進める気概を持つことだ。全てのシステムを自社で作る必要はなく、定型的、標準的な業務にはパッケージを導入すれば良い。しかし、自社ならではのビジネスモデルや業務プロセスを実現する部分は自社主導で作り込めるようにしておきたい。
 どこかで始めなければ、いつまで経ってもできるようにはならない。誰もが皆、最初は素人であり初心者である。はじめの一歩を踏み出す年、それが壬寅(みずのえ とら)である。

2022年1月

経営の道標 年度別

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